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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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カテゴリー「ゆる企画」の記事一覧

シュールストレミング!

雪のなか、シュールストレミングに挑戦してきた。
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シュールストレミングは、スウェーデン産の発酵食品。ニシンの塩漬けが醗酵したもので、缶詰になっている。通常、缶詰は殺菌処理されるが、シュールストレミングの場合、未殺菌のまま缶詰にされるため、中でも醗酵が進む。そのため、醗酵によって生じた炭酸ガスで缶内の気圧が上がり、開封時、中の汁が猛烈に飛び出すこともある。しかも、「世界一くさい」との定評もある食品だ。フォロのある都会のビルなどでは、とても挑戦できない。そこで、我々は奈良県の山奥、某村まで足を運び、この恐るべき食品に挑戦することにした。

あたりは一面の雪景色、日中でも2度くらいしかない。厳重に冷蔵されていたはずのシュールストレミングは、それでも心なしか、缶上部がふくれているような気がする。本企画提案者のR氏、開缶のために、わざわざ作業着と雨ガッパに着替え、しかし、なぜか手だけは素手で開封にかかった。

缶切りが入った瞬間、ぴゅ~っと汁が噴き出し、猛烈な臭いが立ち上がった。思わずむせ返る一同。近くで、素知らぬふりで雪だるまづくりに励んでいたY氏いわく、「マーキングの猫のおしっこの臭い」。言い得て妙だ。あきらかに泊まった家のぼっとん便所よりも臭かった。
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汁をきると、中からニシンの切り身が出てきた。醗酵が進みすぎると液状化することもあるというから、固体がちゃんと残っていたのはよかった。しかし、それにしても臭い。菌たちが猛烈にかもしまくっているエネルギーが感じられる。すでに菌に負けそうだ。

まずは、提案者のR氏が挑戦。何度か口に持っていっては引き返したあと、ついに実食。出てきた言葉は「何なんすか、これはね……」。食後のすべてを解脱しきったような表情が印象的だった。


私自身の感想を言えば、意外とおいしかった。味は塩からのようなもの。臭いは強烈だが、食べてしまうと、意外と食べられる。調子にのって、けっこう食べてしまった。しかし、その後、風呂上がりに、軽いじんましんが出た……。あまりの猛烈な菌たちの襲来に、免疫系が反応してしまったのだろう。でも、たぶん今は腸内フローラで花咲かせてくれていることと思う。

帰路、おみやげに密封タッパーにシュールストレミングを入れ、クルマで移動。しかし、大雪のために大渋滞に巻き込まれ、なんと9時間半もかかってしまった(普通なら3時間)。車内に充満してくるシュールストレミングの臭い。まったく動かないクルマ。たまっていく疲労……。阿鼻叫喚とはこのことかと思い知りました。

翌日、自分から出るガスの臭いがシュールストレミング臭だったのにはびっくり……。しかし、シュールストレミングを経験したので、世界の、だいたいの発酵食品とは仲良くできそうな気がする。人間の“食”って、おもしろい。



大阪城でチャンバラ!

3月某日午後、春の陽射しにもかかわらず寒風の吹きすさぶなか、我々は大阪城公園にてチャンバラをした。「なにゆえ?」などと野暮なことは聞かないでくれたまえ。男のロマンでもなければ、女の美学ゆえでもない。そこに大阪城があったから、というわけでもない。チャンバラをしながら我々自身、「なぜこんなことを?」と内心では思っていたのだから。だいたい、【ゆる企画】はいつもそうなのだ。
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きっかけは、1月に殺陣のワークショップに参加したこと。ここでチャンバラの型を身につけたメンバーが、公園で実戦をしたいと発案したのだ。しかし、ふつうの公園で刀を振り回していたら通報されそうだし、大阪城公園ならロケーションも絶好、たぶん、そんなにはあやしまれないだろうと決起した次第。

しかし、オトナだけでは心細かったため、フリースクールの子どもも誘って、小中学生3名が参加してくれた。ちなみにオトナは6名……。各自、刀を持参して大阪城に出陣。しかし、寒さゆえにオトナはなかなか動かない。子どもたちは段ボールでつくった刀を手に縦横無尽に走りまわっていた。しかし、じっとしているとあまりに寒いので、しぶしぶチャンバラをしていると、観光客から写真を撮られたり、外国人から「オー、ジャパニーズソード!」と感嘆されたり、我々は日常を揺るがすアートな存在と化していた(?)。

天守閣の前でもチャンバラをし、これで大阪城は我々の手に落ちたと自己満足して帰ろうとしたところ、思いがけないことがあった。我々の同士小学生2名に対し、見知らぬ兄ちゃんたちが、おもちゃの刀で応戦してきたのだ。まさか我々以外のオトナでチャンバラをしている輩がいるとは! 世の中捨てたもんじゃないですな、と妙な感慨を抱きつつ、我々は撤兵したのだった。


棒倒しでGO!

ちょっと、ひさしぶりの【ゆる企画】。今回は、「棒倒しでGO!」と名づけ、辻々を棒の倒れる方向に歩いていくという企画だった。どこに行くかは棒次第。ふだん歩くというと、目的地に向かって、脇目もふらず歩きがちだが、目的がなくなってしまえば、歩くことそのものも楽しいはずだ。そんなことを思いつつ、13時にフォロを出発した。
直前までは雨が降っていて、延期するかどうか悩んでいたのだが、13時にはウソのようにさわやかに晴れ上がった。きっと棒倒しの女神がほほえんでくれたのだ!
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使用した棒は、プラスチックのバット。目立つので、辻々で転がすのがちょっと恥ずかしい。道行くサラリーマンが怪訝な目で見ている。まあ、【ゆる企画】はいつもそうなのだけど……。
右に曲がり、左に曲がり、東に行ったかと思えば西に行き、文字通り右往左往、紆余曲折しているあいだに、なぜだか大阪城に引きよせられていく。大阪城公園に入り、色づきかかった銀杏並木を歩く。かわいた葉っぱの匂いに秋を感じる。なんだか、ふつうの秋の散歩になってしまった。公園のなかでは、バットを持っていても不審でもないし、平日の昼間では人もまばらだ。公園のなかも右往左往し、森ノ宮に出たあと、京橋まで歩いた。歩行距離は5キロ半ほど。直線で歩いたら、新大阪くらいまでは行けた距離だ。よく歩いた。

しかし、気持ちにゆとりがあると、匂いにしても、色合いにしても、とても感じるものがある。いろんなものが視野に入ってくる。とくに、今回は地名や標識なんかにくわしいTさんが参加してくれていたので、いろんなことを教えてもらった。ひとつ例にあげると、街灯が暗くなると点灯するのは、街灯の上に付いているセンサーで反応するそうだ。そのセンサーの位置が市町村によってちがうらしく、大阪市は独自だとのこと。写真を撮り忘れたのだが、街灯の上部に、ポチッと豆球のような(?)ものがついている。Tさんによると、標識の付け方や歩道の縁なんかも、自治体によってちがうとのこと。トリビアな発見の多い“棒倒しウォーク”だった。

ひとつ、不思議な標識を発見(↓写真)。
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上の矢印、どこへ行けって言うんでしょうね?クルマでは行き止まりになっているようですが、それなら行き止まりと書けばいいのに……。

真昼の花火大会

hanabi.JPGひさしぶりの【ゆる企画】で、“真昼の花火大会”をしてきた。
ぎらぎらと灼けつくような陽射しのなか、淀川河川敷に午後1時半に集合。河川敷の野球グラウンドも、カラカラに乾いていて、なんだか甲子園球児になった気分だ。

噴き出す汗をぬぐいながら、火の準備をする。河川敷ということもあって、風が強く、なかなか難しい。小さい火ではダメだと、落ちている木っ端を拾ってきて、たき火をする。炎天下に炎が揺れる。暑いというより、熱い!

あとは、花火に次々に着火。真昼とあって、先端部の閃光は見えるが、ちっとも「花火」じゃない。まるで溶接工事をしているみたいだった。物足りないので5本くらい手に持って着火した人もいたけど、やっぱり溶接のバナーみたい。煙たいばかりで、マグネシウムの焼けた匂いが汗にしみていくようだった。それならばと、線香花火を試みるが、点いているのかどうかわからないほど……。ひととおり手持ち花火を終え、最後のホープ、打ち上げ花火に期待をかける。「着火したら1.5m以上、すぐに離れること」などの注意書きを読み、やや緊張しながら着火する……が、ぱらぱらぱらと、乾いた音と煙、少しばかりの閃光が見えて、おしまい。5~6本は打ち上げ花火をしたが、どれも似たようなものだった。

真っ黒い影が色濃く揺れて、身体からは水分が蒸発していく。肌には塩分がざらつくし、頭はもうクラクラだった。空には入道雲がモコモコと沸き立ち、河では、ヨットの練習をしていて、いかにも涼しげ。しけた花火みたいに、スパークできなかった私たちは、しばし河に向かって石を投げて“水切り”をして、乾いた土を踏みしめながら、河川敷をあとにした。

●今回の教訓
・ムダを楽しむにも体力がいる。
・花火より太陽は強かった。
・やっぱり花火は夜がいい。
・よい子はマネをしないでください。


大衆演劇

先週のことだが、「ゆる企画」として、大衆演劇を観にいった。西成区にある飛田オーエス劇場という小劇場で、小さいながら花道も桟敷席もある。少し埃のにおいがして薄暗い劇場は、昭和30年代くらいにタイムスリップしたようで、それだけで味わい深かった。

公演は、毎日12時~と17時~で、それぞれ3時間。顔見せのショーに始まって、メインのお芝居、歌と踊りのフィナーレへと続く。それで観劇料は1300円だから安い。歌や踊りはポップな演歌が中心。7人ばかりの小人数で、ひとり何役も演じ、入れ替わり立ち替わり歌い、踊る。
メインのお芝居は、期待を裏切らない勧善懲悪の時代劇。やや下世話なところが、いかにも大衆演劇という感じで、小道具が倒れてしまったときなど、役者さんが「おお、びっくりじゃ」と言いながら、みずから直していた。そういう気どらない感じがよかった。

客席との距離が近く、歌や踊りは客席のなかでもくり広げられる。役者さんの香水の匂いがプンプンと漂ってきて、けばけばしい衣装や化粧と、スポットライトと、スピーカーからの大音響があいまって、なんとも不思議な空間になっていた。
役者は、これみよがしな妖しげな魅力を振りまき、サクラと思われる観客が、これみよがしに1万円札を胸元に挟みに行ったり、キッチュとは、まさにこのこと、という感じだった。終演後は、役者さん総出でお客さんをお見送り。熱い握手を交わし、涙ぐむお客さんもいた。
3時間たっぷり、妖しげな光と匂いと音にフラフラになったアタマには、帰り道の夜風が心地よかった。

大衆演劇の劇団は、半月か1カ月ごとに、各地の劇場や健康ランドなどを転々としているそうだ。劇団の数は全国に100ばかり。100もの劇団が、全国を流浪しているかと思うと、これはすごいなと思う。大衆演劇は明治時代に始まったらしいが、流浪する芸能民というのは、そうとうに古い来歴を持つのじゃないかと、勝手に歴史ロマンをふくらませてしまう。機会をみつけて、大衆演劇の劇団の人にも、一度じっくり話を聞いてみたいと思った。


たき火

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今日は、たき火をしてきた。春を目前に、こちらからゆるんでやろうと、また「ゆる企画」である。しかし、大阪市内などにいると、たき火ひとつするのに、なかなか苦労する。公園ではたき火は禁止。街中では、そうそう火をたける場所もない。仕方ないので、わざわざ電車に乗って淀川の河川敷まで行き、たきぎや落ち葉を各自持ち寄って、たき火を囲んだ。
火というのは、つくづく不思議だ。子どものころに「火遊びをしてはいけない」と言われるのは、たんに防火のためではなく、火の不思議な魔力への畏れがあるように思う。形あるものが、またたくまに灰になり、光と熱になる。ちょっと触れれば、自分もやけどするし、危うい力がぼうぼうと吹き出している。それでいて、とても惹きつける力がある。第一、火というのが何なのか、いまだに私にはよくわからない。物理の好きなMくんは「それは分子が激しく運動していることです」という。そのとおりなのだろう。物質が激しく変化し、揺らぎ、だからきっと、こちらもざわつくのだ。う~ん、それにしても、火は捉えがたい。
結局、1時間半ほど、たき火を囲むことができた。お約束どおり、焼き芋をして、ほくほくの芋をいただいた。今回は、私の息子(6歳)も同伴したのだが、顔を真っ赤にして火のまわりで遊んでいた。場所さえあれば、たき火は、安上がりで心身ともに楽しめる上質な遊びだ。
次の「ゆる企画」は、ひたすら穴を掘る企画なんてのは、どうかと思っている。
(写真は雨乞い?をしているところ)

オトナの公園遊び

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おだやかに晴れ上がった平日の昼下がり。街なかの公園は人もまばらで、とても静かだった。今日、私たちは「オトナの公園遊び」をした。ひさしぶりの「ゆる企画」だ。参加者は男性3名。まずはタイヤのブランコに始まり、すべり台、ふつうのブランコ、鉄棒などを堪能した。子どものころには平気でやっていたはずの遊びが、ものすごくスリルある遊びに感じる。鉄棒でグルっと回るだけで三半規管が悲鳴をあげた。
3人並んでブランコをしていると、OLが颯爽と目の前を通り過ぎる。近くで遊んでいた2歳くらいの女の子をつれたおばあちゃんは、「もう、おしまいにしましょうね」と言いながら、そそくさと離れていった。羞恥心もあいまって、笑いが止まらない。
その後、砂場遊びをしようとしたが、小さい子が遊んでいたので、さすがに遠慮して、そばの生け垣に腰掛けながら、100円ショップで入手したシャボン玉で遊ぶ。あやしいと思ったのか、公園管理のおじさんが、砂場の柵を入念にチェックしながら、こちらをうかがいはじめた。そりゃ、あやしいよな。私が公園管理者でもあやしむだろう。
砂場がなかなか空かないので、別の公園に移動。やはり「先客」がいたものの、間もなく空いたので、ちょっと勇気をふるって、柵のなかに入った。砂場遊びといえば、棒倒し。山をつくっては崩し、また山をつくっては崩す。砂の湿り気が心地よかった。身体のなかに眠っていた感覚がよみがえるような感じがあった。気がつけば1時間半ほど、遊んでいた。時間の経つ感覚がふだんと全然ちがった。

実は、私には6歳の子どもがいて、わりとよく、子どもといっしょに公園遊びをしている。それで、オトナがいかに身体で遊んでいないかを感じて、これはもったいないぞと思っていた。そういうこともあって、この企画を思いついたのだが、オトナだけで遊ぶというのは、また子どもと遊ぶのとちがって、おもしろかった。いつのまにか自分に立てている壁を、少し崩せた感じもあった。なんでオトナは子どもみたいに遊べないんだろう? 考えてみたら、不思議だ。たまに子どもみたいに遊べたら、誰しも、すごくリフレッシュするにちがいない。

街に座ってみた

kyobashi01.JPGただ1日、街に座ってみようという企画を立てた。
ふだんは「目的」のために、急ぎ足に通りすぎるだけの場所に、ただ座ってみたい。
……ということで、今日の午後1時から、京橋駅の広場の片隅に、座ってみた。参加者は、ちょっと少なくて3人。「さあ開始!」と意気込むもことでもないので、何気ない会話を交わしながら、植え込みのレンガに、腰を下ろす。
平日の昼過ぎとあって、広場は人もまばら。しかし、座り込んでいるおっちゃんたちの姿も、ちらほら見える。
15分ほどしてからだったろうか。西成から来たというおっちゃんが、話しかけてきた。
「この缶チューハイな、駅のホームで買うたら150円やで! ぼったくりやがな。あっこの店やったら140円で売ってんのにな」
その一言から始まり、話は、おっちゃんが自衛隊員だったこと、法律を犯したか何かの理由で辞めざるを得なくなって、その後は、あちこちを転々としていたこと、西成の寮に入っていたが、集団ルールがうっとうしかったこと、いまは西成のアパートで暮らしていること、心臓ペースメーカーを入れていて、それで障害者手帳をもらって、お金がおりていることなど、1時間以上にわたって、延々と続いた。

ふだんだったら、話しかけられることもなかったかもしれない。
見えない壁は、こちらがボーッとしているだけでも、自然にゆるんでいた。

その後、「本日7本目の缶チューハイを買いに行く」と、おっちゃんが言ったところで、そのおっちゃんとは別れて、歩道橋の上に座ってみたり、また元の広場に戻ってきたりで、5時近くまで、座って過ごした。
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夕方になるにつれ、人の流れは速くなっていった。帰り路を急ぐ人たち。
いつのまにか宵闇が迫り、ネオンが点りはじめる。
そろそろ肌寒くなってきたところで、雨も降り始めたので、おひらきにした。

座っているだけで、感じることが、とてもたくさんあった。
一つ、気づいたこと。男性のほうが、エラそうにしている人が多かった。
そして、そういう人は、とても急いでいた。
(やました)

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自己紹介:
「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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