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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

© NPO法人フォロ

   
カテゴリー「声」の記事一覧

「なるにわ」に寄せて

なるにわ趣意書の起草者のひとり、のだあやかさんが、なるにわスタートにあたっての思いを寄せてくれたので掲載します。
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これを書いているいま、季節は三寒四温を越えて、ようやく春になろうとしている。
春。けれども私は、あまり春が好きじゃない。
9歳から不登校だった私には、春は憂鬱でしかなかったし、大人になったいまも、それはそんなに変わっていない、気がする。

なんと言っても、胸がざわざわするのがイヤ。
外で吹かれるには気持ちの良いだろう風も、室内でひきこもっていたら窓ガラスを叩く音に、自分の内側からも叩かれる何かがあるようで、落ち着かない気持ちになるし。
それは今年もおなじこと。おなじこと、なんだけど……。

今年のざわざわには、今までになかったものがある。
それは「なるにわ」がスタートするということと、深く関係していると思う。
「コムニタス・フォロ」から「なるにわ」へ。
趣意書や規約を考えるところから、私は「なるにわ」に関わってきた。
趣意書には、私の考えたイメージも採用されている。

たぶん、新しい風、なんだと思う。
私にとって「なるにわ」がはじまることは。
「なるにわ」で分かち合いたいことが、私にはたくさんある。
簡単に言ってしまえば、おもしろいことがやりたい。
私にとってのおもしろいことって言うのは、いろんな人が居て、それぞれの考えていることや、心の内側にある風景を、少しずつ、そっと知っていくこと。わけあっていくこと。
それぞれの内側にある何かを、交換できる瞬間。

それは大雑把に扱っていいものでもないし、それ自体を主題において、「さぁ、やろう!」ってやるのとは、ちょっとちがうと思う。
おんなじ場所に、生身のからだで、心でそこに居て、いっしょに時間を過ごすこと。
おんなじ風に、吹かれるということ。
ふっとやわらいだり、ほころんだりして、そこにあらわれるもの。
それはもちろん、いいことばかりじゃなくて、どろどろしたものだって、顔を出す。
その時は、あわてても騒いでもいいけれど、どろどろさんもそこに居ていいですよーって言ってあげたい。

これは「コムニタス・フォロ」で学んだことなんだけれど、人が生き物であるように、場も生き物なのだ。
人が生き物、なまものであるように、場のなまもの性も、けっこう高い。
大事にしたいのは、そのなまもの性だったりする。

季節は春。
あいかわらず、胸はざわざわしている。
けれどもそれを厭いきれないのは、新しい風に、吹かれようとしているからだ。
室内で聞く、無遠慮に窓を叩く風ではなくて、生身のからだをさらすことで、感じられる風。
「なるにわ」に吹く風は、いったいどんな温度だろう。どんなかおりがするだろう。
それはまだわからない。
わからないから、胸はざわつく。

それでも、風をもとめる気持ちが、いまの私にはある。
やさしい風だといいなぁ、とか。
たまには強風も吹くだろうなぁ、とか。
生身のからだで、心で、思いっきり伸びをしてみたい。
そんなことを考えている。
これを読んでくださっているみなさまも、あたらしい風に触れてみたくなったら。
おいでませ、なるにわへ。
平成26年3月26日
のだあやか

オトナの階段、おりる~私の共育学舎滞在記~

今年も、共育学舎を訪問してきました。共育学舎というのは、廃校を借りて、自給自足の生活を営みながら、無償で食事や宿泊を提供し、いろんな若者が滞在している“止まり木”のような場所です。ブログに報告を書こうと思っていたら、参加メンバーから文章が届いたので、こちらを載せます。(山下)
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●役立たずな私

私は8月24日から3泊4日、ひきこもり仲間とともに共育学舎でお世話になりました。
最初の3日間はあいにくの雨。これ幸いと共育学舎を出た若者たちが始めている「なんか面白そうなところ」へ総勢6名でわらわらと押しかけ、お喋りを楽しみました(山の学校、ギークハウス、ユースライブラリーえんがわ、など)。
突然やってきた、わけの分からないひきこもり集団に、みなさまそれはあたたかく接してくれました。お茶やお茶菓子まで出していただいたりなんかして、それぞれがやりたいことを語る目は、ギラギラとではなく、静かに輝き、まるで澄み渡る夜空のよう。
自主性のない、とことん受け身な真性ひきこもりの私にはそれさえまぶしくて「なんかすみません……」と心のすみでひとりつぶやいてみたりして。
恵みの雨のおかげで、たくさんのうつくしい人々と知り合えたのは僥倖ですが、気づいてみれば3日3晩のタダ飯食らい。恥知らずの私でも、さすがに共育学舎のみなさまに申し訳なくなってきました。
そうして迎えた滞在最終日、スイッチが切り替わったかのように晴れ渡る熊野川西屋敷。これまた具合のいいことに農家は稲刈りの季節。人手は溢れるくらいで丁度いいはずです。ひきこもりも束になってかかれば(引率者やフリースクールスタッフもいましたが)立派とまでは言えなくとも、普通の人手くらいにはなれるはず。恩返しというのもおこがましいささやかなお手伝いに、密かに意気込む私。
しかし、事件はおこりました。
稲刈りの主な作業は、稲を刈る人、刈った稲を運ぶ人、稲を適量に束ねる人、束ねた稲を干す人の四つのチームに分かれます。最初は稲を刈る人に振り分けられた私。刈るときの注意事項を真剣に聞いていたにもかかわらず、開始3分も満たずに「その刈り方はちょっと……」と経験者からさっそく指導が入ります。さらに丁寧に教えてもらうも、私に刃物を持たせてはいけないことを、もちろんあちらは知りません。
「私が刈ると危ないみたいですね」とそそくさと刈るチームから退散する私。見事にやる気が空回っています。これはまずいとあせりはじめました。
あせりで挙動不審になりながらも、結局稲を束ねるチームに加わる私。ここなら座って作業ができるし、刃物を持たなくてもいいし、でこぼこのあぜ道を稲でいっぱいの手押し車を押す必要もありません。とにかく一番簡単そう。これまでの人生で己の役立たずっぷりを散々突きつけられてきた私でも、きっとこれなら役に立てるはず。
しかし私は甘かった。コツをつかめば簡単そうなこの作業、コツをつかむということが何よりも苦手な私に最初からうまくできるはずがありません。一緒にはじめた仲間が早々にコツをつかむ隣で、オタオタもろもろ、稲をぼろぼろと落とす私。他にもさまざまなつながりで集まった、農作業初体験のみなさまも、どんどん束を量産していきます。
こうなるともう悲惨です。自意識過剰でエエかっこしいの私には、まわりができていて自分ができない、という状況ほど弱いものはありません。フラッシュバックする学校の先生の、1週間でやめたバイト先のおばちゃんの罵倒の数々。スタミナがない、器用さがない、力がない、ないないづくしの私にできることなどこの世にあるのかと、暗澹たる気分に陥ります。この役立たず。食うだけ食って、寝るだけ寝て、農作業では一人前に場所だけ取って。お前はここでも寄生虫のなのか。いっそ消えてしまえ。いえ、もう消えたいです、正直……。
内なる私があらゆる語彙を集めて私を罵倒しはじめます。やだ、涙が出そう。


私が思う世の中のこと

私は高校を中退しました。精神のほうがだめになり、引きこもりを15歳から20歳までしました。20歳からはフリーターを続けています。月に10万円まではギリギリ稼げますが、それ以上は働くと精神のほうがSOSが出ます。心のほうがブレーキをかけます。健常者に見えますが、軽い精神の障害があるようなものです。
 
一人暮らしはできないですが、家族と一緒に住んでいます。そこから将来のための保健や年金を引かれると暮らしはきついですが、フリーマーケットや自炊でなんとか暮らしていけます。中古の物を買えば十分暮らせます。もう学校へはいけないでしょう。自分でもわかっています。
 
今の世の中は学校を出ないと就職がつきにくくなっていますが、私は自分のような社会的弱者が生きやすい世の中にしていきたいです。
 
私は「小銭をかき集める方法」で暮らして生きたいと思います。
あとは「みんなで一緒に住む」方法を考えています。核家族になりお金だけの世の中になってしまった。自殺者が3万人になり、生きづらいですね。
フリーターでも生きやすいように世の中を少しずつ変えていきます。
 
ぞぞ

いじめと自殺、学校について

マスコミにも載らなかった、警察も動かなかった、もう時効が立ってしまった事件があります。今から約10年前のことです。
世の中には法律などで裁けないことがたくさんあります。
 
いじめについて書きたいと思います。
 
世の中の皆さんは「いじめ」と聞くと「からかった」ぐらいだろうと思うでしょう。だけどいじめは被害者にしか見えない傷が残ります。精神のほうに深い傷が残ります。
 
私は中学時代に集団リンチを受け続けていました。不良、ヤンキー、シンナーを吸ってる悪い連中に目をつけられ、陰湿な言葉の精神攻撃など暴力と暴言を3年間受け続けました。卒業後精神がおかしくなり、うつ病を発症しました。自殺未遂を繰り返しました。PTSDと診断され、今も健常者とは違う暮らしを送っています。「現在も後遺症が残っています。」加害者は健常者として暮らすんです。
 
立派な集団による「殺人未遂」だと自分では思っています。加害者は忘れたり、うやむやにしようとしたりしています。被害者は私。悔しさが今もあります。
 
マスコミも警察も動かない、「叫んで届かなかった」ことです。
遊ぶ権利、学ぶ権利を奪う「いじめ」は悪質な犯罪です。
当時は恥ずかしくて言えませんでした。被害を言えるようになったのは20歳の時です。
 
いま、いじめにあってる人、中学校が特にひどい時期なので逃げて逃げて逃げましょう。
いじめっ子は次は自分が「いじめられる側」になるかもしれないのが嫌なのであなたをターゲットにしようとします。「いじめられる側にも問題がある」などと言うでしょうが、それは嘘です。自分を正当化してるだけです。
 
逃げていいんですよ。学校にはいかなくてもいいんです。通信制の道もあります。
学校が全てではないんですよ!世の中は!世界を広げましょう。
 
ぞぞ

“いじめ取扱説明書”

メンバーのM・Yさんが、“いじめ取扱説明書”をつくった。
以下、M・Yさんから。
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これはいま、学校のなかでいじめ被害にあっている人たちと、その親や教師に向けて、解決に役立ててほしいために書いた説明書です。

私は中学生のころ、13歳から15歳にかけてずっと、同級生から「いじめ」を受け続けていました。止めてと言っても聞いてもらえず、つらい地獄の日々でした。

卒業後に精神状態がおかしくなり、今もPTSDの発作、うつ病の後遺症とたたかっています。

いま学校に通う人たちに、私のような同じつらさ、苦しみを味わってほしくないという思いからこの「いじめ」取扱説明書をつくりました。

どうぞ、みなさん役立ててください。

泣き寝入りは絶対にやめましょう。

M・Y

「いじめ取扱説明書」ダウンロード
 ↓ ↓
http://www.foro.jp/pdf/ijime.pdf


冊子原稿その7――手記

私は、強くならなくていい――コムニタスに出会って


しなくてもいい告白をします。

当初の予定では私、「テーマをもった話し合いについて」で原稿を仕上げるはずでした。しかし、待てど暮らせどびびっとこない。言いだしっぺが原稿落としてどーすんだ。冷や汗ものです。けれども降りてこないのです。こう、原稿の神さまが! もはや私の世界に神はいない! などと落ち込みあせっていたところ、親愛なるみやすけさん(嘘じゃないデスよ?)が前述の「テーマについて」の原稿をばっちり仕上げてくれたのです。捨てる神あれば拾う神あり。
 というわけで。ここからは、私の私による私の為の自己満足な文章です。ただの日記でもあり、メンバーに対しての手紙でもあり、全く知らないひとへの呼びかけでもあります。そういうものは得てして、一方的で青臭く、ひとりよがりでぶっちゃけウザイものです。ので、あー、面倒くせぇと思った方はどうぞ次のページをめくちゃって下さい。それでOKです……などと予防線張りまくってますが、そろそろ本題へ。

コムニタスと出会って、私が伝えたいと思ったことについて。

今でこそ、うるさいくらいおしゃべりで、一時も黙ってられない私ですが、言葉なんていらない、口がきけなくなればいいと、半ば本気で思っていた時期がある。両親にも兄弟にも、「ともだち」にも、自分の言葉が届かない。ただ死んでいくためだけにあるのなら、いっそ最初からなくてもいいのに。朝目が覚めて、まだ自分に声が存在することにがっかりしたことも、一度や二度じゃありません。今にして思えば、些細なすれ違いが、偶然重なっていただけ。自分を可哀相がりたかった面もある。でもあの頃、とてもささやかに、だけど確かに、私は絶望していたのだと思う。自分のことも他人のことも許せず、私は無口になった。

コムニタスに出会って、あの頃ほどけなかった想いを、私は少しずつほどいてゆくようになった。しゅるり、と最初のほどき目は、やっぱりコーディネータの山下さんや、メンバーに出会えたこと。私とは違う、私の知らない風景、知らない地平を生きてきたひとたちと出会う。その言葉を聴く。それはとても新鮮で、興味深く、思いがけず共感したりもする。だけど時々、ぼろりとこぼれるのは、それぞれが歩んできた道の険しさだったり、きずあとだったり。出会うたびに困惑する。それはそのひと個人にしか背負えないものであり、私はなんの力も持ち得ないから。
 でも、それでいいんだと思う。色んなひとに出会う、色んな道を知る。それらはただそこにあるだけで、とても愛しく、尊いものだと思うから。もちろん他人だもの、ちがう価値観だってある。うなずけない選択だってある。全部含めて、ただ大事にしたいと、私は思うようになった。それは多分、当たり前のように、私の道もただ大事にされているからだ。

次のほどき目。私はぽろぽろと、よく泣くようになった。

それは突然やってくる。親との関係だったり、昔のトラウマだったり、たまたまそのとき悩んでいることだったり。まぁそんな感じで、私がピーピー泣いている時のメンバーの対応。先に帰る人もいた。(遠くから来てる人は、終電の時間とかあるし。)黙って隣に座る人もいた。黙って、ちょっと遠い場所からオセロを始める人もいた。私は泣きながらも、そのオセロの勝敗が妙に気になった。後で心配して、メールをくれる人もいた。

つながらなかった想いとか、行き場のない感情だとか。自分でさえ持て余しているものを、当たり前のように、「あってもいいんじゃない?」って、その場の空気が言っていた。そういうこともあるさ、って。どんな励ましの言葉より、私の気持ちをなぞってくれた。嬉しかったです。ありがとう。

ここからは、普段面と向かっては言えないこと書きます。手紙みたいに。それはコムニタスのメンバーに向けたものでもあるし、これを読んでくれている、顔も知らないあなたに向けたものでもある。

いま私がいちばん言いたいこと。届かなくてもいい。声高に叫びたいわけじゃないから。コムニタスに来るようになって、色んなひとと出会って、コムニタスの中だけじゃなく、外にいるひとを見ていて感じたこと。

みんな、とても不安がっている。自分のことを、許せないでいる。もちろん私自身も。小学校で不登校になり、高校へも行かず、ずっとひきこもりを続けていて、外へでるようになった今でも、仕事をするわけでなく、学校にいってるわけでもない、宙ぶらりんの私みたいなひとだけじゃなく、学校へ行ったり、仕事をしたり、子供を育てたりしている「ふつう」の人たちも。

何を信じたら、誰を信じたらいいのかいつも迷っている。不安になって、今の自分じゃ許せなくて、もっともっと安定した、安心できる「立派」なひとになろうとひたすら頑張っている。その繰り返し。みんな、どんどん疲れていってる。社会全体を覆うその空気に、呑まれそうになる。私も不安だし、不安がる自分を許せない。だから、大きなことは言えない。強制も出来ない。するつもりもない。ほんのささやかな、だけど伝えたい、それだけのちっぽけな提案です。

不安を殺そうとするの、やめてみませんか?
自分を強くするより、その弱さを許してみませんか?
不安を抱えた、弱い自分と一緒に、生きてみませんか?

100%そうして、って言ってるわけじゃない。
戦わなきゃいけない場面はいっぱいあるだろうし、そのためには強くあることが必要なんだろうな、って想像くらいは出来る。きれいごとじゃすまされないことも。

だけど、どれだけ周りから認められ、賞賛されても自分を自分で許せないひとは、いつまでたっても苦しいだろうし、周り中が自分を認めてくれなくても、自分を許せている人は、どっかで踏みとどまると思う。だって、自分を許すって、そんなになまぬるいものじゃないんです。甘やかすのとは違うんだから。業の深い、汚い自分も見つめなきゃならないんだから。こういう逆説的な言い回しはあまり好きじゃないけれど、弱さを通すことだって、ひとつの強さだ、とも言えるかもしれない。

私は、強くならなくていいです。
弱い自分で、どこまでゆけるのか見てみたいんです。
結局は、それが言いたかっただけかもしれない。
結局ひとは、自分を見せびらかしたがる、それだけのエゴなのかも。
だけど、どうしても、一度言葉にしてみたかった。

ここまで付き合ってくれた奇特な方、どうもありがとう。
これからもよろしく、コムニタスのみなさん。

(ノディ)


冊子原稿その6――映画のじかん

「映画の時間」というと、みんなで真面目に椅子に座って一本の映画を見て感想文を書いて…って感じの想像をするかもしれませんが、フォロの映画の時間は、とにかくフリーダムです。各々お茶飲んだりお菓子食べたり途中退席も可、だらだら見てる人もいれば微動だにせず見てる人も、完全全く見てない人もいます。席はとくに決まってません。てーか、椅子か地べたかっていう時点からマジで決まってません。見る映画はメンバーが提案したり、その場のノリで決まったり色々なようです。大体がマニアック単館上映系、そして最後敗北するバッドエンド(笑)です。

見た後はみんなで映画について感想を話し合ったり、話がそれて脱線しまくったり、山下さんからのウンチクがあったりなかったりします。なんか、しなきゃいけないっていうことが基本的にあんましありません。それってよく考えたら別に当たり前なんだけど、なかなか実践はし難いですよね~。

取材をさしてもらった8月8日は、中嶋哲也監督の「下妻物語」を見ました。ロリータ自己中モモコ(フカキョン)と尾崎大好きヤンキーイチゴ(土屋アンナ)という、世間のはみ出し者同士が出会って、一人と一人として友情を築いていくって感じのお話です。私はこの映画大好きでマジで神映画だと思ってたんですけど、「この映画はこの瞬間で終わってるからいいんだよね~」と山下さん。「だってここで実際刺繍を仕事にしてみたらまた違ってくるから〝ロリータ街道驀進中〟で終わってるんだし、この二人もこのまま何年も続けられるかって話だし」バビチョーン。そら確かに。また劇中モモコの遊ぶロココなロリータ界にも、見てる分に感じるフリーダムさの裏側では、社会や男性からの目線に対するアンチテーゼや乙女たらんとするポリシーを表現する為にヒラヒラを身にまとうという、なんともイデオロギッシュで硬派な一面も存在するらしい。特攻服と一緒じゃねーか!
「そういうのが窮屈になっちゃうときもあるんですけどね…」
実際にロリータ街道を驀進中のYさんは語る。なんか重みが違いますねー。だけど、この映画にも救いはある。ベイビーのデザイナーの磯辺さん。直々にスカウトしたモモコがワンピース刺繍の締切を破ってしまうんだけど、理由はイチゴを助けに行くため。普通なら、お前仕事なのに何考えてんの! と怒ってしまうとこで、磯辺さんは「今まで仕事一筋でやってきて、ボクには自分を曝け出して付き合える友達が一人もいなくなってしまったから」とGOサインを出す。まじ、いい人ですねー!なんつーか、大人の鏡ですねー! なんか、「そういうのがあるって信じたいよね」みたいな話に。みんなに一人ずつ磯辺さんがもれなくついてくればいいのにな…(笑)。
「ロリータとヤンキーっていう相反する美学を持った者同士が、お互いになぜか繋がれるっていうところもいい」
ほんとですね。特に女はまず同種であることがコミュニケーションの基本大前提みたいなとこがあって、しかも相手への同化が愛情表現だったりするんで、こういう繋がり方はマジほんと理想ですねー。

そんな感じで色々な人の色々な立場から色んな意見が聞けて、自然に見識も深まります。私も無邪気な希望に満ちたアホ映画だと思ってた下妻が、この映画の時間おかげで果てしない深淵に通ずる井戸になってしまいました。よかったのかな!?(笑)

【N】


冊子原稿その5――ごはんのじかん

「おいひ、おいひ」の声が聞こえる。
ごはんの時間について書きます。
食べてみなきゃわからない。メンバーでミーティングで決まった物を買い出しに行きます。スーパーまでの楽しい買出しは遠足のようだ。ご飯は人数が多いほど安上がりなのでラッキー!
masaoka01.jpg
ラーメン、牛丼、豚丼、冷やしカレーうどん、チンジャオロース、etc...
手作り餃子を作った時は、大量にあまったニラとキャベツで作った、ニラチヂミを、うんざりするほど食べたことも……ニラとキャベツを切るのがすごく大変でした。

食べ物を切るのは簡単なように見えて、最初は、けっこう難しかったです。回数をこなしていくうちに、うまくなりました。嬉しいことです。料理は作るときが結構大変です。

たこ焼き作りをしたときは、たこ焼き器を扱うのがめんどうでしたが、なかなか楽しい思い出になりました。たこ焼きやさんの大変さをわかりました。

ベトナムのフォーや沖縄料理のゴーヤチャンプルーなど変わったものや、からあげ、豚汁、肉じゃが定食のような家庭的なものもあります。残り物でチャーハンを作ったり。お酒は、持ちより自由で飲んだりもするけど、酔っ払いが続出したことも……。私はフラフラになったことがあります。もうこりごり……。

お菓子を作ったこともあります。簡単なババロアがおいしい思い出です。家でも作るようになりました。

これまで一番多かったメニューは、インドカレー。山下さんが香辛料から作ってくれます。
冬には、あったかーい鍋などなど、みんなで食べると美味しいよ!

ただ、皿洗いの後片付けは皿が多いときや油物のときは嫌ですが、みんなで話し合って順番に洗います。
300円から400円ぐらいの予算でできる安くておいしいごはん、みなさんも食べてみてね!

(正岡佳子)

◎今まで多かったご飯上位2位

1位 インドカレー
2位 パスタ
3位 うどん


冊子原稿その4――ゆる企画

とくに意味はない!――ゆる企画について

ゆる企画について、ゆるゆる~っと紹介します。なにせ私は、コムニタス・フォロに来て1年たらずの比較的新しい会員で、ゆる企画には、まだ1回しか参加したことがないので、ゆるゆる~としか紹介できないのです。
ゆる企画とは、その名の通り、ゆるいことを企画して、(超!)不定期にやる企画で、今回は「淀川土手すべり」。ダンボールを尻にしいて土手をすべっていくというアレです。過去の企画に関しては、コムニタス・ブログを参照します。おお、かなりNiceなラインナップ。「大阪城公園でチャンバラ」するとか、辻で棒を倒してその方向に進んでいく「棒倒しでGO!」など見るからにゆるいものから、「大衆演劇を観にゆく」という、なんだか奥深げなものまであります。

「棒倒しでGO!」という企画は、個人的にすごく気になります。The ゆる企画な感じがして。参加できなかったことが悔やまれます。

で、今回の土手すべりは8月17日に行なわれました。とてもいいお天気。いいお天気すぎ。暑い。8月17日は暑い。早くもちょっと後悔してくる。だって夏は好きこのんで外なんかに出ないもん、いつもは。あっつー、インドアにはつらい。淀川は今日も汚い河です。目の前では学生さんが野球してます。中学生でしょうか。ちょっと後悔してくる。

しかし、ここまで来たからには、すべらねば。
案外すべれます! 淀川土手!! 想像以上にエキサイティング。なかなか楽しい。
この日、なんと10人ものメンバーが集まり、大所帯での土手すべりとなりました。メンバーのなかには、立ちすべりだの腹すべりだの、さらなるスリルを求めてがんばる人も出てきて、さらにエキサイティング。大の大人が……なんて我にかえっちゃ、ゆる企画は楽しめません。ゆる企画には、とくに意味などないのです。

考えるな! 感じろ! これで私も立派な「土手系」です。
土手すべりを飽きるほど楽しんでから、 たき火してダンボールを燃やしたんですが(夏のかんかん照りにたき火!!! ちょっと正気の沙汰とは思えないが、これも楽しかった)、こてこての関西弁の知らないおじさんが、「これもいっしょに燃やしてもらえんかのぉ」と自然に入ってきて、何かの封筒を燃やし……てゆうか、私だったら声かけないな。真夏の昼間にたき火している人たちに(笑)。大阪のおじさん強し。そのおじさん、なにやら燃やしたものについても「極秘の機密文書やからな。これが知れたら政界が傾く」だの「CIAに命狙われる」だの……まさかおじさん、カタギではないんですか? 謎だ。謎だけど、どうでもいい。

そんなこんなで8月17日の淀川土手すべりは終わったのです。もうクタクタ。夏って日光にあたってるだけで疲れる。みんなもなんだかボロボロに見える。服をドロで派手に汚しちゃってるメンバーもいます。服まで土手系とは、やりますね、なかなか。

とくに意味はないけど、ひとりじゃ絶対にやらなかった経験ができて、そこに疲れもあいまって、なんとなーく胸いっぱい、というか満ちた気持ちで家に帰りました。

きっかけがないと夏は外に出ない私なので、今回のゆる企画は体にはこたえたけど、ちょっとした発見もしました。真夏は小陰がほんとうに涼しいんですね! そよそよ~っとぬるいけど風も感じたし、心なしかさっきより淀川もきれいに……は見えないけども。とにかく私的には発見です。

とくに意味がないぶん、ほかのこともすーっと体に入ってきて、妙に素直にいろんなことを感じられて、ああいうのも、ある意味、童心にかえってるってことなのかなぁ~…と、ぼんやり考えているところで、私の紹介は終わりです。

ゆる企画の「とくに意味なし」なところが気に入っているので、これ以上考えてしまうと「意味ありげ」になってきそうな感じなので(笑)。とくに意味なし、はじめてやるけど、もう二度とやらないと思う、そんなゆる企画だからかっこいーなって私は思うんです。

(山村)


Profile

HN:
なるにわ
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性別:
非公開
自己紹介:
「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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