忍者ブログ

なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

© NPO法人フォロ

   
カテゴリー「声」の記事一覧

冊子原稿その1――はじめに

コムニタス・フォロの冊子ができた。このブログでも、その原稿を掲載していく。
まずは、「はじめに」から。
………………………………………………………………………………
はじめまして、こんにちは。
あなたがコムニタス・フォロを知ってくださったきっかけは何でしょう?
ホームページ? ブログ? それとも、誰かからの紹介でしょうか。
あるいは、この冊子で、という方もいらっしゃるかもしれません。
いずれにしろ、これもなにかのご縁。しばらくお付き合いいただけたら嬉しいです。
さて、コムニタス・フォロのことを知ってもらいたいという思いから、この冊子の発行に至ったわけですが、私個人として、コムニタスについて一言で説明することは、なにやら難しく感じます。何故ならここは、自立を「支援」するわけでもなく、不登校やひきこもりを「克服」するわけでもなく、就職を「勧める」わけでもない。共通の苦しみを持った人たちがあつまる「自助」グループともちょっとちがう。実際ここには、さまざまな人々が集ってきます。一言では表しづらい集団なのです。ならば、あえてキーワードを探すとするなら?これは私にとっては至極単純明快。

「ゆるさ」を絆に。

この一言に尽きるでしょう。
現代のいわゆる「一般社会」が整然と、一分のムダもなく、計算されつくしたピンと張った糸で構成されているとするならば、コムニタスは、まったりと、ムダを愛しみ、計算なんてあったもんじゃなくゆるゆるの糸で出来ている、とでも言いましょうか。私たちは、結果としてはそのゆるゆるの糸を紡ぐために、実際の感情としては、面白いから、とか、誰もやってなさそうだから、とか、いかにもムダって感じだから、等々の理由でこれまでさまざまな活動をしてきました。しかし、当事者のひとりとして、自分たちですら何をしてるのかよくわからない集団になってきている……との思いから、今回、各々メンバーが見つめてきた「コムニタスでこんなことやってます」あるいは「コムニタスってこんな場所」等の想いこのような冊子という形にする運びとなりました。

代表とか(そもそもコムニタスに代表はいませんが)、創設以来のメンバーとかそんな偉い感じの立場じゃなく、ただ発案者というだけの理由で、ここまでつらつらと言葉を紡いできました。この拙い言葉たちを、はじめの言葉に変えさせていただけたらと思います。

ようこそ、コムニタス・フォロへ。

(ノディ)


いじめ手記

Sさんから、いじめの手記が寄せられたので掲載する。
………………………………………………………………
養護学校でのいじめや差別体験
S・H
 
私は、養護学校に通ってました。中学3年からM市の養護学校に通うはずでしたが、実の母親といっしょに暮らせなくなって、父親の都合でI市の養護学校に行くことになりました。養護学校では、同級生の子から無視されたり、話しかけてもらえなかったり、にらまれたりしていました。

AさんとBさんには「おまえムカツクんだよ」「学校に来るな」「帰れ」「死ね」「消えろ」とか言われて、それを先生に言ったら、「気のせいじゃないの? そんなこと言う二人ではないよ」と言われて、すごくいやな気持ちになりました。

いじめっ子のリーダー格は、AさんとCくんでした。私は高校に入学する前からCくんのことを好きだったので、寄宿舎で手紙を書いて遊びに誘ったら「忙しいのでごめんなさい」と言われて、だけど、私に断っておきながら、ほかの人とは遊んでいました。私は学校でも寄宿舎でも、先輩からも同級生や後輩たちからも、先生からもいじめにあってました。

どんないじめだったかというと、コミュニケーションも文章も苦手なので、上手には話せないのですが、シカトされたり、ありもしないウソのウワサを流されたりしていました。いじめっ子たちどうしでのメールや手紙で「ウザイ」とか「キモイ」とか言われたり、私が遊びに誘っても、全員に断られたりしました。
Aさんには、イスで背中を2回なぐられたり、美術の時間に頭から水をかけられたりしました。スポーツ交流(室内サッカー)のときには、Aさんが、ほかの養護学校の人に、「あいつウザイからいじめてやろうぜ」「みんなで無視しようぜ」って話しているのをたまたま私が聞いてしまって、悲しかったです。

Cくんも、寄宿舎でみんなに「あいつ、病気だから話しかけるなよ、シカトしようぜ」と言っているのを聞きました。すごくショックでした。それ以来、誰からも話しかけてもらえませんでした。
 AさんとCくんたちがウワサをながすから、物を盗まれたり、教室の机を倒されたり、シカトされたり、仲間はずれにされたり、いろいろなイヤな思いをしました。

私が先生に「学校でいじめにあってるから学校やめたい、転校したい」って言うと、「もしまたいじめにあったらどうするの?」「さっちゃんの仲間がさびしがるんじゃないの?」と言われました。

高校1年のとき、同級生のDさんと体育祭にいっしょに行く約束したのに、結局、約束の時間には来ませんでした。先生が迎えに来て、いろいろイヤなこと言われてパニック起こして暴れたら、怒られて、暴力ふるわれました。

あるとき、私が学校に髪を染めて行くと、休み時間にE先生に呼び出されて「髪を染めて学校に来たらいけない! まわりにいる人たちの迷惑になるから、そんなんじゃ授業に出させることはできない」と怒られました。なんで髪を染めたのか、理由を話してもわかってくれないから、イヤになってそこを飛び出そうとしたら、暴力をふるわれました。助けを求めてから4時間後に、ほかの先生がやっと助けに来てくれました。泣きながら話をしました。寄宿舎で髪を黒になおしてから、学校行きました。

家で暴れて物を壊すたびに、親が警察を呼んで、つらかったです。そのことをお父さんたちが学校に言ったために、ウワサが広がり、また傷つきました。いっしょに遊んでくれる友だちがいなかったり、メル友もほとんどいなかったり……。ちなみに病院(入院)送りしたのはE先生です。私のやったことばかり話して、ほかの人がしたことは隠していました。これ以上は話せないのでここまでにします。とりあえず書くのに疲れました。


“逆さ男”さんの詩

おまけ、というわけではないが、“逆さ男”さんが詩を寄せてくださったので、これも掲載する。
……………………………………………………
「部屋の壁」

僕はこの部屋に住んでいる
次の部屋へ引っ越して出ていく時
僕は何を成し遂げているのだろう
レシピを見ながら自炊していた
納豆の臭いを消臭スプレーで消した
朝 仕事の身支度にバタバタした
それ以外で
何を成し遂げているのだろう
誰と一緒に―

次に引っ越してきた人は
部屋に入って来たら
僕の生活の記録である 部屋の壁の
匂いを鼻から吸い込み荷物を運びこむのだ  きっと

……………………………………………………
「冬日の雨」

学校帰りの子供達がフードコートのフードを被り 小走りに駈けてゆく
背中をピンと立てながら
家へ帰る僕はジャンパーのファスナーをきつく締め 大股で早歩き
背中は丸まり、顔を下に向けている

突然降りだした雨
傘を持ち出すのを忘れずぶ濡れになって家路を急ぐ

一粒一粒が雪のような重みを持つ
身に沁みる冷たさの 冬日の雨

春雨のようなしつこさとその冷たさが重苦しくて
ただでさえ子供と違い背負う重荷が骨身に沁みるのに
これ以上は耐えられない
潰してはいけないものを
背骨を丸めて守っている しっかと――


あいだ(4)

引き続き、逆さ男さんの手記を掲載する(今回が最終回)。
………………………………………………………………………………
この社会は、自分の立場を維持するためには、他者を踏みつけにするような構造になっている。
自分の居場所を見つけるにも、世間で「負け組」のレッテルを貼られた人たち、非正規雇用で格差に苦しむ人たちには、酷な状況だ。先に「自分らしく居られる場所のない社会は貧困だ」と書いたのは、この社会構造に寂寞としたものを感じるからだ。僕自身、受験というキツイ競争に乗せられ、そこでつらい挫折を経験し、社会に出たら何をするにも金がいることをイヤというほど思い知らされた。思い通りにならないこと、理不尽さを仕事で経験し、どんどん追い込まれていった。気がつけば自己責任や自分に対する(実はあいまいな)ランク付けにとらわれて、どんどん自分らしく生きる権利を奪われてしまった気がする。「こんな自分の姿なんて、もう投げ出してしまいたい」と思うくらい、追いつめられていた。逃げたくとも、お金が何をするにも必要なことを考えると、逃げだせないというジレンマが、ほんとうに苦しかった。仕事をしているときは、とくに。

結局、僕にとって必要だったのは、“ワンラク上の自分”なんかよりも、自分が安心して自分らしく居られる居場所であり、安心して笑い合い、いつもの自分を取り戻すことのできる、人とのつながりだった。その確信は、いま、コムニタス・フォロのお世話になっていて、少しずつであるが、ふつふつと感じている。

僕は、フォロの扉を初めて開けてくる人たちに聞きたいことがある。

「いつもの自分に戻れましたか?」

もちろん全員が「はい」と答えるとは思えない。そりゃ、雰囲気や価値観が合わず、構える人もいるだろう。でも、フォロのスタンスは「来た人が最後には脱力して帰ってもらう場を提供すること」だから、もっと「いつもの自分」を取り戻すために、どんどんフォロを利用すればいいと思う。もっと僕らは本当の自分を出すために、必要な「心の奥底の声」に、しっかりと耳を傾け、その声を外へ表現していくべきなのだ(もちろん僕だって、この作業には今以上の努力をしたい)。

今、フォロでいっしょにだべっているメンバーが、どんどんそういう作業を行なっていることは、すごく刺激になっていいと思う。各々の「声にならない声」が集まってまとまれば、きっと世界は広がる。そして、その広がった世界には、「いつもの自分」を置いておけるスペースが、お金をつかわずとも見つかるはずだ。僕は、そう信じて、こうやって、ただ長いだけと言われかねない文章を書いたのです。
(了/逆さ男) 


あいだ(3)

引き続き、逆さ男さんの手記を掲載する。
………………………………………………………………………………
僕は待ちゆくサラリーマンに、ときどき次のような質問をぶつけたくなるときがある。

「あなたは今の自分に対して、これが“いつもの自分”だと自信をもって言えますか?」

この質問に対して「はい」と答える人は少ないのではないか。今の社会では“いつもの自分”を保つことが、すごく難しい。こう書くと、「仕事の上では人間関係を良好に保たなければいけないし、自分は常に“ワンランク上の自分”を目指して自分磨きをしているのだ」という声が聞こえてきそうだ。本人が意識しなくとも、周囲から、そうけしかけてくる構造がある。この“ワンランク上の自分”という言葉だが、そもそも自分のランクが上だ下だという基準はいったい何なのか? つきつめれば、組織で上の立場の人間が下の立場の人間に言うことをきかせるための、あいまいなルールでしかない。それなのに、僕らはいつも(仕事以外のときまで!)、この自分のランクという価値観に追い立てられているような気がしてならない。

今の社会は、金で何でも買えるかわりに、金を手に入れるには、非人間的な競争が強制される。

 爪先立ちの
 靴がぼやいて言った
 踏んづけられまいとすればだ
 踏んづけないでは
 いられないのだが「満員電車」
(「満員電車」山之口貘/『日本の詩歌20』中央公論社)

しかし、非人間的な競争をつくった社会は、あるものを金で手に入りにくくした。それは、「自分らしく居られる居場所」である。 (つづく/逆さ男)


あいだ(2)

引き続き、“逆さ男”さんの手記を掲載する。
………………………………………………………………………………
優越感を感じるときって、どんなときだろうか? テストで良い点をとったとき? 自分の着ている小物や服をほめられたとき? 仕事で高い評価をもらったとき? 人より大きな家に住んでいるとき?……こんなことを羅列するのは、優越感を感じるシチュエーションを僕なりに分析し、そこに流れる共通したものを暴いてやりたいからだ。僕には優越感という言葉がわずらわしく、生きづらさの一つになっているように思う。なぜなら、優越感を覚えるには、そこに必ず劣等感を感じている者が存在しなくてはならない構造があるからだ。それは、いわば「不平等の構造」だ。

人にほめられる服や小物には、たいていお金がかかっている(そうでないものもあるだろうが)。服のセンスを磨きたかったら、結局は財力がモノを言う。家の大きさなんて完全に親の財力の産物で(この親の金というのは日本の格差の一番大きな要因だと僕は思っている)、本人の努力は関係ない。テストで良い点を取れたり、仕事で高い評価を得るのは、本人の学習能力や持って生まれたキャラ、そしてセンス(発想力)に因るところがある(センスの有無というのは学校ではまったく触れられないが、仕事の上では一番求められる能力だ)。生まれながらの不平等は当然ある。なのにそれを埋める努力をしなさい、と今の社会は要求してくる。この努力する人=善、努力してない人=悪という価値観は危ない。職場で評価の高い奴がそうでない人を蹴落とす理由を「正義」にまで高めてしまう(事実、僕も職場で上司からそんな物言いを何度もされた)。

僕は、有名国立大卒業で大企業に就職した男の子どもに生まれ(父親と表記しない理由は、また別に書く)、その男から早く俺を超えろとばかりに、勉強やスポーツで努力することを強制されてきた。しかし、社会に出てみると不平等の壁にぶち当たり、努力していない自分が悪いという自己責任を刷り込まれ、すっかり自信を喪失してしまった。現在は他人のお世話になりながら病気の療養中である。

学校では理想に向かって努力していたはずが、社会に出ると現実とのギャップに愕然としてして震え上がった。「いつも努力していなければ自分を保てないよ」という社会のスタンスが変われば、どれだけ生きやすい社会になることかと思う。組織にも人にも社会にも、「ゆるさ」や「隙間」がまったくない。この問題は、もっと認識されていいことだろう。
もちろん、優越感を全面否定はしない。他人の評価を避けて生きるのは無理だ。僕も人の知らない映画や音楽の知識を話すのは好きだし、人よりも多くの本を読んだとか、動画サイトに自分の作った画像や音楽を投稿したという実績には、自信を持っていい。それで他人から評価されるのは全然「アリ」だと思う。でも、自分の劣等感を消すために他人のあら探しをするようなマネはやめてほしい。「できる」「できない」だけではない第三の視点で人を見るべきだ(もちろん、この言葉は自分にも向けている)。しかし、今の社会はそういう視点のない貧困な社会だ。次回は、この社会の貧困さ=居場所のなさについて書きたいと思う。(つづく/逆さ男)
………………………………………………………………………………


あいだ(1)

引き続き、メンバーの手記を紹介する。今回は、“逆さ男さん”の手記。
……………………………………………………………………………………
 この原稿を書きはじめる数週間前、僕はコムニタス・フォロで知り合ったM氏とカラオケで歌っていた。そのとき歌った曲に、詐欺罪で捕まった某音楽プロデューサーの曲も入っていた。その歌にこんな一節がある。

Since 1984
Lookin' for the Face
Lookin' for the Place

 このフレーズのなかのPlace=「居場所」、Face=「人生」と置き換えてみると、ついこのフレーズは自分のことを指しているのかと思い、切なさを感じてしまう。
 なぜこんなことを書くのかと言えば、この文章の目的=「自分自身の生きづらさを表現する」ためには、わかりやすい「最初の一歩」ではないかと思ったからだ(あくまで主観だが)。
 最近、僕はいろいろ自分のなかの変化に気がつくことがある。音楽でもマニアックなものよりシンプルなロックンロールが好きになったり、服の趣味がブランドっぽい服よりスポーティな服が好きになったり。そして、「おカネを手に入れるためには仕事でイヤな人間関係をガマンしたり、利害関係を考えて時にはゴマをすったりすること」という、会社ではふつうに行なわれていることを「なぜそのようなことをするのか?」と疑うようになった。そもそもそんな価値観がなぜ当たり前になっているのか。もっと、いろいろな価値観があってもいはずなのに、今の社会は画一的で息が詰まる。こんな社会では、他人に対して優劣をつけて優越感を持つことでしか自分が安定しないような気がする。何とも生きづらい世の中だ。
 自分に対しても世の中に対しても、悲観的では希望も持てない。こんなことをある人に話すと、その人から「神に祈れ」と言われたが、いまの僕に必要なのは宗教的な価値観よりも自分が自然体でいられる居場所だ。そして自分の置かれている状況を説明して共感してくれる仲間である。(つづく)


冬の訪れ(みやすけ詩)

あけまして、おめでたいのかどうかはわかりませんが、今年もよろしくお願いします。
今回は、メンバーのみやすけさんの詩を転載します。みやすけさんは最近、自分で詩集を作っては販売しています。
※「師走のこの頃」と書き出しにありますが、年末にあずかったまま、年が明けてしまいました……。
………………………………………………………………………………

冬の訪れも久しく感じ、師走の寒いこの頃も、人々はいつも忙しなくその足を動かしていた。僕は今
はもうあの頃のようには胸を躍らせることもなく、ただ単調に流れ続ける時間に身をゆだねているだけ
だった。去年の冬もそうだったように、今年の冬もとても寒い冬になると、テレビの向こうのアナウン
サーがそれもまた単調に、原稿を読み上げていた。
少し灰色が沈殿しているかのようなひっそりとした景色、それとは又別次元に交差する日常。そして、人々の地面を蹴る音、それぞれの異なった音程で話す会話。それは海の上を走る、小さなさざ波にも似た、空間の揺らぎ。冬の寒さは人々の体の隅々に、さも空間と人間の一個体という違いを忘れてしまったかのように、染み渡っていく。凍てつく寒さを身に感じ、その身体を隠すように羽織るコート。皆白い息を吐きながら眼はどこか空ろな眼差しで、先が見えないトンネルを孤独に彷徨うように、体は前に進んでいく。夜になり、外灯が置き去りにされたかのようにひっそりと光が灯る。
空は湿っぽく、その雲の間を縫うように雪が降ってきた。ゆっくりと、ゆっくりと小さなあまり形が定まっていない氷の固まりは、僕の体にそっと降りかかる。そしてその小さな固まりの中に感じる、ほのかな暖かみが僕の心に安らぎを与えた。いよいよ人の姿はまばらに消えていく時、肌に感じる寒さが一段と増してきた。夜の町には置いて行かれた外灯にそして僕が残された。雪は尚も優しく降りかかる。

「ひとりぼっちだね。」

僕は雪の降る空をぼぅっと見つめていた。暗い空間に僕、背景には淋しげな雪が、そしてそれを温かく見守って包んでくれるように照らす外灯の光が一筋。

「このまま永遠に連れて行ってくれたらいいのにな…」

こぼれるように出た言葉は白い吐息に混じり、夜闇に溶けていく。
………………………………………………………………………………


それぞれの「ただ、いま」を

引き続き、メンバーの「声」を紹介したい。今回は、ノディさん(20歳・女性)の手記。フォロのニューズレターに手記を寄せていただいた。
…………………………………………………………
「コムニタス・フォロについての手記を書きませんか?」
コーディネーターの山下さんにこう言われたとき、喜んでそれを引き受けた。しかし、いざ「書くぞ!」という段階になって、私はとても困ってしまった。
ひとつは、言いたいことがありすぎて、とても上手くまとめられそうにない。
それと、もうひとつは、この場所のあり方について。

私は、コムニタス・フォロをとても気に入っている。
ここに来た当初、私は疲れきっていた。
世間との価値観のギャップに。
私にとって大事なものが、世間では取るに足らず、私にとってどうでもいいものが、世間では大切にされている。いつも自分が申し訳なかった。生きていることすらも。人は万能で、走り続けなければならない。一歩も足を緩めることは許されないのだと、そう言われているようで。
だけど最初にここの空気を吸ったとき、なぜだろう、とても息をしやすいと思った(ちなみに空気清浄機はない)。
自立を「支援」するわけでもなく、不登校やひきこもりを「克服」するわけでもなく、就職を「勧める」わけでもない。共通の苦しみを持った人が集まる「自助」グループともちょっとちがう。実際ここには、さまざまな人々が集ってくる。あらためて考えてみれば、ここはなんとも不思議な場所なのだ。一言では表しづらい。

ところで。            
歌手の一青窈さんが、こんなことを言っていた。
「あるがままの自分を、自分の『ただ、いま』を伝えられる場所や人があるならば、それは『ただいま』に転じ、そこがその人にとってのお家になるんじゃないかな」
私はふっ、とコムニタス・フォロのことを思い出した。ああ、そういうことかもしれない。
私にとってこの場所は、ひとつの「Home」なのだと。
だって私は、ここでたくさんのことを話した。うれしかったこと、哀しかったこと、闘っているもののこと。笑ったり、泣いたりしながら、私の「ただ、いま」を。
それと同じに、たくさんのことを聞いた。人はみんなちがって、それぞれの喜びや、苦しさ。それぞれの「ただ、いま」を。
だからと言って、フォロに来る人たちを「家族だ」と言い張るつもりもない。フォロの人々は、あくまでただ、フォロの人たちなのだ。
あるがままの関係であるということ。それは案外、カテゴリーを持たないことだと思うから。

フォロの扉が開く。さまざまな人が、ちょこんと顔を出す。
私はフォロの扉が開かれるのが、「こんにちは」と言えるのがうれしくて、とても楽しみに待っている。
コムニタス・フォロのような「Home」が、日本の片隅に、少しずつ根づいていくことを願っている。
(ノディ)
…………………………………………………………


Profile

HN:
なるにわ
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

Twitter

ブログ内検索

カレンダー

06 2017/07 08
S M T W T F S
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

最新コメント

[04/06 鳥居]
[02/08 みやすけ]
[01/13 山下耕平]
[01/13 M]
[11/21 山下耕平]

Since 2006.11

QR Code

携帯からもアクセスできます。

AD

PR
Copyright ©  -- なるにわ ぶろぐ --  All Rights Reserved
Design by CriCri  / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]