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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
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おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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カテゴリー「居場所について」の記事一覧

「居場所」について-3

社会からどんどん居場所がなくなってしまって、家族のみに縮減してきてしまってきたこと。それが大きな問題だと私は考えている。人が、おたがいに根拠なく信頼し合い、ゆるんで居られる場所が、家族のみとなってしまった。しかも、その家族すら、居場所ではなくなってきている。それには、いろんな場合があるだろうが、ひとつには、家族が「教育家族」(芹沢俊介)となってしまっている場合、もうひとつには、親が貧困状態に追い込まれている場合があるように思う。

「教育家族」というのは、親(あるいは子ども自身)の価値尺度が経済的価値に一元化してしまって、子ども(自分)のことすら、経済的尺度で見てしまう状態と言えるだろう。「ダメな子ほどかわい」のではなくて、「できる子ほどかわいい」。一方、貧困状態に追い込まれた親は、経済的価値以外の生活を営む余裕を奪われていると言える。いずれにしても、価値尺度が一元化してしまっている。 

不登校の親の会などで培われてきたのは、親が自分の価値観を問い直すことで、家族に居場所を取り戻し、子どもの生きていく足場を取り戻そうということだったろう。それは、今でも(だからこそ)大事な営みだと思う。しかし一方で、家族だけでは限界があるだろうと私は思う。人はさまざまな人との関わりのなかで生きられるのであって、居場所性が社会から失われているなかで、親だけが子どもの「ありのまま」を受けとめるといっても、パンクしてしまう。社会のなかにさまざまなかたちで「居場所」を回復していくこと、経済的価値にはならないようなムダな時間や空間、人間関係をつむぎだしていくこと、そういうことが、とっても必要なのだと思っている。(つづく)


「居場所」について-2

では、何が失われているのか。言葉にしがたい“何か”を、言葉にしてみると、どういうことになるだろうか。私は、それを“共鳴”ということじゃないかと思っている。おたがいに響き合うような、間合いのようなもの。そういうものがないと、人間関係も、場も、緊張度の高いものになってしまって、カチンコチンになってしまう。

よく、自信には根拠がないと言うが、信頼というのも、ある意味では根拠のないものだろう。なんとなく、相手に身をゆだねられたり、自分を開いても大丈夫と思えたりすること。たとえば、担保がなければ金は貸さないというのは、信頼ではない。(*) はっきりと目に見える根拠はなくても、何か間合いのようなものが空気のようにあって、おたがいが信頼しあえる。そういう空気がないと、人は窒息してしまうように思う。

いまの社会は、カチンコチンなのだ。とても流動的で、変化が激しく、自由度は高いものの、信頼が希薄で、不安で緊張度の高い社会だ。(つづく)

*信用=Creditというのは、「給付と反対給付のあいだに時間的なずれのある交換」(広辞苑)だそうだ。クレジットカードで買い物ができるのは、支払い猶予期間でしかない。信頼=Trustというのは、「直感的に深く信頼している状態を指す」(ジーニアス和英辞典)とのこと。


「居場所」について-1

「居場所」という言葉は英訳できないらしい。実際、和英辞書(ジーニアス第2版)でひくと、Whereaboutsと出てきて、これは“犯人の居場所”とか言うときの意味しかない。つまり、現在所在地のようなことだ。じゃあ広辞苑(第5版)だったらどうだろうと、ひいてみたら「いるところ、いどころ」とあって、これも同じような意味しか書いてないように思える。いまやどこでもかしこでも使われる「居場所」という言葉のニュアンスは、辞書にはみあたらないのだ。

だいぶ以前、評論家の芹沢俊介さんが何かの著書で、不登校運動のなかで「居場所」という言葉が出てきたとき、とまどいを感じた、というようなことを書いていた。うる覚えなので正確ではないが、それは、わざわざ言葉にする必要のなかったことを、盛んに言葉にするようになったことへのとまどいを書いていたように思う。それまでは、空気のようにあたりまえのこととしてあって、対象化して考える必要のなかった「居場所」。それを、わざわざフリースクールやフリースペースといったかたちで創出し、語る必要性があるということそのものが、おかしいと言えばおかしいのだろう。

辞書からは抜けてしまうような、「居場所」というニュアンス。とっても言語化しにくい“何か”が、社会から失われている。でも、その“何か”がないと、人は生きていけないのだと思う。(つづく)


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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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