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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
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カテゴリー「づら研」の記事一覧

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「ままちゃん」=ままならなさの研究/づら研@松江

2月7日、島根県松江市にあるYCスタジオのみなさまと、づら研@松江を開きました。テーマは、「ままちゃん」=ままならなさ、の研究です。

「ままならなさ」という言葉、づら研では、ときどき登場します。今回のづら研では、何かをしたくてもできない状態、身動きがとれないさまを「ままちゃん」と名づけ、研究しました。


◎どんなときに「ままちゃん」を感じる?

・予定に合わせて起きようと思っているのに、起きれない。
・何かを人に紹介したい、知ってほしいと思っているのに、あとひと押しが勧められない。
・家族と話をしているとき。
・親が家族内のトラブルを隠してしまう。
・地方のマイノリティ問題。
・一生懸命、話すほど、疎外されてしまう。


ここで「ままちゃん」には、二通りのケースがあることに気づいた。

ひとつは、自分から何かを発信したいのに、それができないケースで、
もうひとつは家族など、人との関係で、ままちゃんが生じてしまうケースだ。
 

◎どんな「症状」が出る?

・対人恐怖
・落ちこむ
・心臓バクバク、頭はフラフラ。
・息をのみこんでしまう。
・口調がどもってしまう。
・パニクるというより、疲れる。


◎「ままちゃん」がいらしたときの工夫

・キャラクターの着ぐるみを着て、緊張をほどく(はじめての場や人に会うとき)。
・音楽を聴く(イヤホンで)。とくに落ちこんでいるときは、ふだん聴かないヒーリング系の音楽を聴く。
・とにかく身体を動かす。


◎遮断機能としてのままちゃん

「ままちゃん」がくると、身動きがとれなくなるので、それぞれ意識して気分転換をするなど工夫をしていた。そこには、現実からいったん撤退する、強制シャットダウンとも呼べる作用もあることがわかった。

たとえば音楽を聴くのは、「まわりの音を聞きたくないから」という理由があったり、心身に出る症状も、「これ以上はもたないよ」というサインだったり。ままちゃんには、バクハツやがんばりにストップをかけるという一面もあるようだ。


◎初期設定にムリがある?

しかし、「ままちゃん」は関係のなかから生じてくるものでもあるので、個人の工夫で済む問題でもない。こちらが緊張や不安でうまく話せなかったり、泣いてしまったりすると、相手もイライラしてしまい、おたがいに疲れてしまうが、そもそも理路整然と対処できるのであれば、「ままちゃん」がやってきたりはしない。

「言葉のキャッチボールが成立していない。」

父親との対話を、そう表現した参加者の言葉から、おたがいの「これくらいはできて当たり前」という認識、いわば初期設定にズレがあったり、先方の設定にムリがある場合も多いのではないか、という発見があった。


◎設定を更新するには

必要なのは「設定条件」の変更であり、そこからの再出発だ。そこで後半は、おもにどんなふうに設定条件を更新したか、どんな場合だと、更新がむずかしく、ムリが生じてしまうかという話になった。


◎更新を困難にするもの

・「できて当たり前」や「自分の常識」から動かない人、譲らない人は疲れてしまう。
・支援者や専門家の知識や枠組みだけで対応されても困ってしまう。こちらの声を真摯に聴いてほしい。
・エネルギーを使っていることを理解してもらえないとつらい。


◎更新を助ける工夫

・なるべくこちらの事情や困難を伝えるようにする。また、それを理解してくれそうな人から事情を打ち明け、少しずつ理解を広げていく。
・便法としての障害名や病名。それにより、親の「自分の育て方が悪かった」「本人の性格の問題」という考えが変わってきた。

  

◎「ままちゃん」を否定せずに

・「ままちゃん」をダメなもの、いらっしゃるのは悪いことと思っていると、更新はむずかしい。
・できないことを否定されるとつらい。否定されるとますますできなくなる。
・自分の「ままちゃん」を認めることができると、他人の「ままちゃん」も認められるようになる。やさしくなれる。
→でも、これが一番むずかしい……。


◎個人から社会まで

・社会の風潮としても、自分とちがう設定を受けいられなくなっているように感じる。社会のオーダーや初期設定に応えられない人が問題というより、そもそも設定のほうにムリがあるのではないか?
→発達障害や不登校なども、個人のエラーではなく、社会や学校の初期設定のほうにムリがあり、ズレているのでは?
・「ままちゃん」を研究してみると、個人から社会問題にまでつながる問題が見えてきた。答えは簡単にはみつからないが、ちょっと俯瞰して眺めてみたり、客観的な視点を入れることは大事だと思った。(野田彩花)

づら研:身体は何と言っているかSP

今日のづら研は、身体は何と言っているかSPでした。

参加者それぞれが、どんなときに、身体が何を言っているかをホワイトボードに書き出してみて、ながめてみました。

今回は、ちゃんとまとめる余裕がないので、ざっくりまとめてしまうと、以下のような感じでした。


●どういうとき?

・緊張したりストレスを感じる場面になるとき。
・あるいは、その前(学校や仕事に行く前など)。
・情報が多いとき、街中や人混みなど。
・心配や不安のあるとき。人の目が気になるとき。
・天候や物音などの環境変化


●何を言っているか

・頭痛、不眠、立ちくらみなど。
・視覚過敏、聴覚過敏など。
・体温が上がる、下がる。
・呼吸が浅くなる。
・声が出にくくなる。しゃべれなくなる。
・胃腸系:オエッとなるなど。
・排泄系:トイレ頻回、汗(冷や汗、脂汗)
・泣く、笑う、あくびなど。
・そのほか、性欲が昂じる、漫然とだるい、人に共鳴してしまうなど。



大枠でいうと、緊張と弛緩(ゆるむ)があって、身体の反応は、緊張をゆるめようとして起きていることも多い感じでした。また、頭ではこうしなきゃと思っていても、身体が反応してしまってストップしてしまうということも多い。そこで、頭のほうに合わせてがんばってしまうと、こじれるので、身体のほうに合わせたほうがいい、ということも見えてきたように思います。


●自分なりの工夫

・胸をなぞりながら呼吸する。
・身体の一部をつめたいものにくっつける(アース線効果?)。
・散歩、寝る、お風呂など。
・人に話を聴いてもらう。
・集中しすぎないように、折り紙など、ほかのことをしながらにする。
・ぬいぐるみなどを抱くetc...。


また、片山洋次郎さんの本などを参照しながら、骨盤の話なども交えて、おしゃべりしました。

次回は12月12日(月)、テーマは「ズレがづらい」です。
(山下耕平)


づら研:「自分の壁」研究

今回のづら研は、「自分の壁」がテーマだった。自分の中で、何かが壁になって、踏み出すことができなかったり、何にもチャレンジできなかったり、身動きがとれなくなったりする。それは何なのか研究してみようということだった。そこで、まずは、みなさんの“壁さん”を挙げてもらおうということで、聴いてみた。


●みなさんの壁さん

・否定的なことを言われた。
・見捨てられ不安。
・つくろった自分を演じていると、行き詰まる(ので、先手を打って、ひきこもり経験があることをカミングアウトしておく)。
・コミュニケーションの壁。
・人の視線。評価。
・透明になるように自分を削いでいる。

・拍子(リズム)が合わないと、話せない。
・身体がもたない。睡眠のズレ、アトピー、緊張する、など。

・お金
・遠方に住んでいる(交通費)。
・家族

・理想が高すぎ?
・コンプレックス。大学生になれなかった、など。
・自意識の肥大(下図)
・めんどくさくなる。
・ひねくれてる、こじれてる。
・「ひきこもり」という名前(当事者性)が壁になる。

・むしろ壁が必要なこともある(暴走しないために)。
・それは本当に壁なのか? 自分で勝手に縛られている?


●壁さんの成分図?

一通りだしてもらうと、なんとなく壁さんには、下図のような成分があるのではないかと見えてきた。
ただ、身体と精神は分けられないし、関係や社会規範は自分に内面化してもいるので、腑分けすれば、こうなるだろうということだ。


●撤退が必要

暴力や自分を否定される関係がある場合などは、そういう関係や価値観からは撤退することが必要となってくる。そうしないと、自分が壊れてしまう。「壁」ということで言えば、自分と関係や価値観とのあいだに壁を立てることが必要になる、ということだろう。同じ「壁」という言葉ではややこしいので、こちらの壁を「防御壁」と呼んでみたい(このちがいは、づら研の場ではなく、この報告を書いていて気づいた)。


●撤退後問題
そして、防御壁をつくって撤退することは必要だが、撤退したあと、壁をつくったあと、それをどう崩せるかが難しい。いかに、新しい関係につながっていけるか。それができないと、ひねくれ、こじれてしまう。

そこで出た意見は、次のようなことだった。

・社会規範のほうがオーダーが厳しくなっている。自分を切り売りしないといけない割合が増えているから、防御壁が高くなっている。
・新しい関係が当事者に限定されてしまうと、最初はよくても苦しい。
・当事者ではない場で、ひきこもりのことなど否定されない経験は大きかった。
・新しい関係に対して期待が高くなってしまい、理想を求めすぎてしまう。
・小説やアートなどが、新しい関係の代わりになることもある。
・大きなチャレンジや一発逆転を考えるのではなく、身近なこと、小さなことの積み重ねがいい。
・理想を求める気持ちにつけこんだ商売や「支援」も多いので要注意。
・実際の関係や場や人物には欠点やダメなところもあって当然で、理想を過大に求めてしまうと、それが許せなかったりする。
・防御壁は、崩すより、ドアとか窓が必要?
・横や縦のつながりより、ナナメの関係がいい(ナナメ上だけではなく、ナナメ下もあり)。
・一気に崩すのは難しいので、出たり入ったりを繰り返せることも必要。
・防御壁がきちんと立てられないと、かえって手放せないのでは?


●防御壁を立てられない問題

そして、最後に、若い世代ほど、防御壁を立てることが難しくなっているのではないか、そもそも撤退することが難しくなっているのではないか、という話になった。社会の流動性が高まり、何が「正解」かわからなくなっていることや、SNSやネットの影響などもあるのかもしれないが、そもそも、何からどう撤退すればよいのか、わからない状況があるように思える。そういうなかで、変身願望が強まっていたり、自傷行為や何かに依存することで保っていたりすることもあるのではないか、というような話になった。そこで、次回のテーマは「逃げられなさの研究」ということになった。7月4日(月)13時~。よかったら、ご参加を。(文責・山下耕平)

※後半は、周和平「私とは言葉である」(2014『アンデパンダン』第3号)を参照させていただきながら、話し合った。引用すると長くなってしまうので割愛するが、とても示唆に富んでいた。

逃げ道の研究

今回のづら研は、「逃げ道の研究」だった。

前回、狭窄さんの研究(視野狭窄さん)で、狭窄さんがいらっしゃっているときは自覚できないもので、自覚できないから悪循環してしまったりする、自覚するには、狭窄になってしまっている関係から距離をとって、ちがう人間関係や、ちがう感覚世界に身を置くこと、第三者の空気を入れることも必要(ただし暴力的な介入は問題)という話があった。つまり、逃げ道がないとしんどい。そこで、どうやって逃げ道をつくれるか、考えてみようということで、今回は「逃げ道の研究」ということになった。


●物理的に逃げても……

まず、不登校を経験した方から、自分のときは「学校に行かなくていい」とか「図書館に来てもいい」なんて選択肢はなくて、不登校になったときは、ひたすらゲームに逃げるしかなかったという話があった。
不登校といっても、学校から物理的に逃げただけでは逃げたことにはならなくて、親や周囲の目、社会の価値観など、幾重にも取り囲むものがある。そこから逃げるには、ゲーム、レゴ、本、テレビなどに没入することで、自分に逃げ込むしかないというような話があった。しかし、最近はネットの普及もあって、ゲームもオンラインゲームだったりするので、良くも悪くも自分にこもるようなことはできないという話もあった。


●「選択」か「逃げ」か?

また、「選択」というと意識的なものだが、「逃げる」というのは身体反応に近く、頭では「逃げてはダメだ」と思っていても、そうせざるを得ないというような、無意識的なものだということが、いろいろな経験談から見えてきた。何度も繰り返し出てくるテーマだが、渦中のときは、言語化できない。言語化できるのは落ち着いてからのことだが、逃げるというのは、言葉で整理が着く前に、アース線のようなものとして必要なのだろう。


●親が逃げ道をふさいでしまう?

親の立場から、子どもの逃げ道をふさいでしまっているのではないかという話もいくつかあった。正面からダメと抑圧するよりも、一見、理解のあるような言葉で子どもを誘導するほうが、子どもを追いつめてしまう、真綿で首を絞めるようなこともあるのではないかという話があった。また、親も子育てからは逃げられないので、ほどよい距離感を保つのが難しいという話も。そういう意味では、親子関係は、学校との関係以上に難しいかもしれない。


●体育会系の価値観は

体育会系の文化では、逃げたらダメ、立ち向かうべきという価値観が根強い。それは学生時代の部活動だけではなく、会社などでも根強くある。それはゴールが設定されているときには強さを発揮するかもしれないが、ゴールを自分で設定しないといけないような現在では、ガマンが自己目的化したり、ブラック企業のように悪いところばかりが出てしまっている。逆に言えば、そういう時代のなかで、逃げ道のあり方も複雑になってしまっている(尾崎豊が「この支配からの卒業」と歌ったようにはいかない……)。


●自分から逃げていてよい?

しんどい環境や関係から逃げることは必要でも、ずっと逃げっぱなしでよいのか、自分から逃げてしまっていてよいのかという話が、いくつかあがって、後半は、そのあたりを考えてみた。

一時的にはよかったと思えても、葛藤や悩みは尽きない。まあ、どう転がっても葛藤や悩みは尽きない気もするが、そういう葛藤や悩みと向き合うのでもなく、ひきこもっているなかで、気力を奪われていることもあるのではないか。仕事だけではなく趣味などに向かう気力もなく、自分に壁を立てて、一見、楽になったようで、苦しいままのこともあるのではないか、という問題提起があった。

ということで、次回は「自分の壁」をテーマとすることになった。
6月6日(月)13時~大阪ボランティア協会にて。よかったら、どなたでもご参加を。
(文責・山下耕平)

狭窄さんの研究

今回のづら研は、「狭窄さんの研究」だった。視野狭窄の狭窄さん。しんどいときほど視野狭窄になって、何かにしがみついてしまう。そういうときは、狭窄さんがいらっしゃっているのだということで、研究してみた。最初に、野田彩花さんに話を聴きながら研究を進めたが、途中からは参加者もいろいろ話していたので、以下はゴッチャになっている。

・狭窄さんがいらっしゃるとき

まず、どういうときに狭窄さんがいらっしゃるのか、考えてみた。

・焦っているとき
・余裕がないとき
・失敗したと思うとき
・悩んでいるとき
・孤独なとき
焦っているときは、目と手先が固まってしまうなど、文字通り身体的にも狭窄になってしまうことが語られた。たとえば、バイトなどの研修でチェックされているとき、迷子になったとき、自分のペースを保てないとき、など。

失敗したときなど、どうやら他者からの評価は、大きく影響しているようだった。「私なんて」と思えてしまうとき、ひとりで酒を飲んでいるとき、頭ごなしに決めつけられたとき、などという声もあった。

・どんな狭窄さん?

狭窄さんは、そのとき盛り上がっている感情にとりつくらしい。怖い、不安などネガティブな感情の場合もあれば、うれしい、好きなどポジティブな感情の場合もある。ただ、登場するには方向のちがいもあって、

ネガティブ狭窄さんは、他者からのまなざしを気にしているときで、
ポジティブ狭窄さんは、自分から他者をまなざしているとき。

また、エネルギーが飽和状態になっているときは、それを放出するきっかけを求めていて、そのために、わざわざイライラする情報を見つけてきたり、自分のトラウマになるようなことに近づいたり、自傷的な狭窄さんが来る場合もあるようだった。

とくにタチが悪いのは、人にとりついてしまった場合。それがポジティブにせよ、ネガティブにせよ、その人自身ではなく、その人のある部分だけに狭窄してしまって、敵/味方に二極化してしまったり、勝ち/負けにこだわってしまったりする。そうなると、現実と出会いそびれてしまう。


・狭窄さんが来ているときの状態は?

まず、狭窄さんが来ているときは、その自覚がないということ。
そして、ループしてしまうこと。
狭窄さんが来ていることを自覚するには、ちょっと俯瞰してみることが必要で、そのためには、狭窄さんを否定するのではなく、狭窄さんを認めること、来ることを拒まず、むしろ、おもてなしをすることが必要ではないかという話になった。


・狭窄さんのおもてなし方法

狭窄さんを現実の人にとりつかせてしまうのが一番やっかいなので、妄想などで出番を与えてあげること。
人に話すことも大事だが、言語化できるまでには時間がかかるので、まずはエネルギーを放出する工夫をしてみること(怒られるのが怖い問題でも同じテーマがあった)。カラオケ、ゲーム、部屋の片付け、料理、散歩など。
狭窄になってしまっている関係から距離をとって、ちがう人間関係や、ちがう感覚世界に身を置くこと。第三者の空気を入れること(ただし暴力的な介入は問題)。


・狭窄さんのプラス面

文章を書くときなど、自分にもぐっていくには、シャットダウンも必要。アスリートやアーティストなども、狭窄なところがある? ただ、摂食障害や依存症など、それ自体が自己目的化してしまって、ループしてしまう場合もある。

誰しも価値観などは狭窄な面があって、自分の価値観で他者を決めつけないことは大事。主語をつけて「私はこう思う」など、自他の区別をつけることは大事。それをしないと暴力的になってしまう。

ほかにも、いろいろな話があったが、およそ以上のようなことが研究を通じて見えてきた。狭窄さん、なかなかの曲者だけど、ほどよい距離感を持ちつつ付き合っていければ、いいヤツなのかもしれない。(文責・山下耕平)

づら研:怒られるのが怖い問題

今回のづら研のテーマは、「怒られるのが怖い問題」だった。
まず、みやすけさんが自分の場合を文章にしてきて話してくれて(文章はこちら)、その後、そのキイワードをホワイトボードに書き出して、参加者とともに「当事者研究」した。


●身体反応~言語化

みやすけさんが最初に話したのは、怒られたときは、その内容よりも先に、怒りのエネルギーが伝わってきて、身体が反応してしまう、ということだった(心臓ズキズキ、前頭葉ビクビク、目の前チカチカ、身体がドコドカetc...下記写真参照)。

そのため、判断力も鈍ってフリーズしてしまったりする。そして消化されない思いが、不安や澱となって沈滞するものの、しばらくすると固まってきて、言葉になってくる。その段階になって、ようやく人に話せたり相談できたりする。そうすると、吐き出すことができて浄化できるが、それで終わりということでもなく、ときどき再沸騰したり、また、あらたに怒られることがあったりする……。

ほかの参加者からも、やはり身体反応の話はいろいろあって(呼吸が浅くなる、血圧が下がる、顔がこわばる、平衡感覚がなくなるetc...下記写真参照)、まずは身体反応なんだということがよく見えてきた。それが言語化されていくと、アウトプットできるが、言語化できないと、エネルギーの塊が自家中毒を起こして、激辛食品やアルコールの摂取、自傷行為などなど、痛みの置き換えで乗りきろうとしてしまったりする。いずれにしても、言語化までは時間がかかることが見えてきた。


●怒られることの種類

さらに、話をするなかで見えてきたのは、怒られることにも2種類あって、理不尽に怒られている場合と、自分に非があると思える場合とでは、自分の反応もちがう、ということだった。理不尽だと思う場合は、反発したり逆ギレしたり、怒りに対する「盾」が働くが、自分に非がある場合は、その「盾」を立てられないので、怒りが深く刺さってしまう。そうすると、フリーズしたり強制終了(シャットダウン)になってしまう。また、理不尽と思っても、とにかくやり過ごすために謝ってしまうということも、女性参加者から話されていた(このあたりはジェンダー要素が深く絡んでいそうだ)。


●なぜ怖いのか?

そして、本題の「怖い問題」だが、なぜ怖いのかを考えたとき、大まかに言って、3種類ほどあった(下記写真参照)。

・身体的な怖さ(殴られる、声が大きい、相手のエネルギーに呑み込まれるetc...)
・関係上の怖さ(決裂してしまう、信頼関係が壊れる、見捨てられるetc...)
・自分への否定(人格否定、価値観の否定、罰せられるetc...)

また、怒りに向き合おうとするからこそ怖いのではないかという意見や、自分を否定して相手に合わせるのもイヤだし、決裂するのも怖いという二律背反がある、などの意見もあった。


●怒りに対処する工夫

その後、怒りに対処する工夫を出し合った(下記写真参照)。

これも、大まかに3段階(初期・中期・後期)あるのと、向き(内/外)があることが見えてきた。

初期
には、身体的な工夫が多く(食べ物、アルコール、風呂、涙を流す、カラオケetc...)、方向は内向き、そしてエネルギーの置き換えをしようとしているのではないかということが見えてきた(痛みの置き換えや発散)。

中期
になると、言語化・共有化する工夫が出てきて(相談する、ひとりにならないetc...)、方向は外向き、そしてエネルギーの変換が起きているのではないかという話になった。

後期
では、負のエネルギーが浄化されたり成仏して、楽になるが、そうなっても甘えや嗜癖が残ってしまうこともあって、それは依存の問題かもね、という話になった。

また、負のエネルギーが変換されないまま、外に向かって発散してしまう場合もあって、それは八つ当たりだったり、ヘイトスピーチみたいな「他者の悪魔化」だったりするのではないか、という話も出た。

*  *  *

こうやって書き出して眺めてみると、実にいろいろなことが見えてきて、おもしろかった。しかし、怒りへの対処の工夫を見いだしても、そもそもが不条理に怒られている場合もあり、自分が工夫して対処しておしまい、では済まない場合も多い。そこで、次回のテーマは「怒り方の研究(誤爆・自爆の研究)」となった。相手に対してちゃんと怒れないために、誤爆や自爆が起きてしまう。それを「研究」してみようということで。12月7日(月)13時~大阪ボランティア協会にて。よかったら、ぜひお越しを。(山下耕平)

みやすけの当事者研究

先日のづら研では、はじめてホワイトボードを使った「べてる流(?)」の当事者研究をしてみました。発表(?)したのは、みやすけさん。次々に語られてくるものがたりが、ホワイトボードに描き出されていくようすは、とてもスリリングでした。すぐには文章にまとめきれないので、とりあえず写真をアップします(クリックで拡大)。




1枚目は、NPOそーねの一ノ瀬かおるさんに書いていただきました。
2名目は、づら研にも参加し続けてくださっている、にゃきさん。

以上、簡単にご報告まで。(山下耕平)

当事者研究コラボ

昨日のづら研は、NPOそーねでの「ひきこもり当事者研究」をもとにレポートをしていただき、そーねの方たちともども、当事者研究をしました。その後、夜は当事者研究をしている団体どうしでお茶会。いろんな意見交流があって、さまざまな発見がありました。NPOそーねの一ノ瀬さんが、Facebookページに報告を書いてくださっていたので、下記に転載します。(山下耕平)

…………………………………………………………………………………………………………
本日は天満橋のフリースクール・フォロ内の当事者研究会「づら研」に参加しました。生きづらさからの当事者研究会(通称づら研)は、月に1回、大阪ボランティア協会内の会議室を借りて活動されています。開催時間は4時間。希望される参加者さんが、自身の研究をまとめたレポートなどを作成してきて、時間をかけて、じっくりていねいに発表します。

今回の発表者は、ひきこもり経験をもつ男性。この方は、そーね当事者研究会にも参加されている方で、そーねで行なっている「ひきこもり当事者研究」の発表を、づら研でされることになったのです。ホワイトボード写真入りのレポートを使い、その方の研究をみんなでシェアしました。

そのレポートは、とても素晴らしいものでした。経験は、表現するまでは自身の内側にとどまっています。それが、当事者研究会では、研究という窓口から、すこしづつ外に切り出され始め、言葉を持ちはじめます。経験をそのままていねいに掘り起こし、みんなで眺め、考察する。経験自体を何かに変化させようとするのではなく、それをそのままに。

それを他人と一緒におこなうと、自身では気づいていなかった意味を見見出されたり、また、語り方の「よりユニークな表現」に出会います。その「ユニークな表現」というのが研究の賜物。「ユニークな表現」は、経験が研究を通して精製された、ひとつの「作品」です。
その方の発表は、内実がありユニークで、とても魅力的でした。

その後はフリースクール・フォロに場を移し、交流会を行いました。20名弱の方々と、各団体の活動紹介や情報交換などが積極的になされ、一方通行にならないための「双方向性」の重要さや、「表現」について、「居場所づくり」についてなど、さまざまなテーマを語る濃度の高い時間になりました。

今回、そーねで行われている当事者研究が、場を移り、発表・研究されるようすを見ることができ、当事者研究のいろいろな可能性を感じられました。

ひとつひとつの研究に、参加者が一体となって、ともに苦労を眺め、ともに言葉を見つけてきた。その積み重ねが、今回発表されたひとつひとつの言葉にも現れていました。

この言葉たちは、つらかった苦労を語るための言葉です。しかし、その言葉から伝わってくるものは、けっして「つらさ」だけではありません。

その言葉のなかに、たくさんの人の顔が見え、思いが見える。
どこか、あたたかさを感じられる言葉になっている。
それは、当事者研究という切り口で、言葉を与えていった結果だと思いました。
「自分自身で、ともに」という当事者研究の理念を、改めて考えました。
研究会・お茶会参加者のみなさま、フォロのみなさま、づら研のみなさま、ありがとうございました。

記 一ノ瀬

づら研:言われて傷ついた言葉

2月のづら研は、「言われて傷ついた言葉」について、KJ法でワークショップをしながら、話し合った。まず、出てきた言葉を、カテゴリごとに紹介。
……………………………………………………………………………………………………

◎侮辱・中傷・威圧

キショイ、キモイ、ダサイ、失敗作、バカ野郎、性格悪い、しばくで!


◎身体・外見

顔がヘン、ミクロマン、天然パーマ、太ってる!、怖い、声が小さい


◎ジェンダー

女らしくない、本当に男なん?、オカマ、ホモ、子どもは?、家政婦、(自分の彼女へ)そんなに可愛くないよね


◎性格

まじめ、甘えてる、八方美人、ええかっこしいい、へんくつ、泣き虫、わがままについていけない、ウソつき


◎行動

大げさ、かわいそうアピール、不幸自慢したいだけじゃない?、他人に頼るな、やめなさい、よく食べる、へーそうなんだ、言葉に悪意がある


◎特性

変わってる、自分を客観視できてない、アスペルガーっぽい、コミュニケーションに問題がある、不器用


◎コミュニケーション

何(どこ)がおもしろいの?、つまんない、あれ? いたの?(悪意アリ)、なんで、ここにいるの?、口べた、同じこと何回も言わないで、話しかけないで、黙ってろ、早くして、うるさい、意味がわからんわ、余計なことするな、なんでできないの?、前も言うたやろ


◎人間関係

彼女いないの?、友だちおらんやろ?、エッチしたことないの?!、協調性ない、かまってちゃん


◎存在否定

頭おかしい、いなければいいのに、(親から)もう関わらんといてくれ、死なない程度に殺してやりたい、


Profile

HN:
なるにわ
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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