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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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カテゴリー「づら研」の記事一覧

づら研で思ったこと―良心的就労拒否?

づら研で思ったことの続き。
 
あらためて思うが、いまの社会は、さながら戦場なのだ。
 
故・渡辺位さん(児童精神科医)は、「不登校は戦争神経症と同じだ」と語っていた。
 
神経症になったら、戦場では戦えない。そのために命だけは救われる。自分でそうしようと思うより、意識下の生き物としての命の声がその人にそういう行動をとらせている。表面の意識では一生懸命戦って「天皇陛下のために死のう」と思っていても、命としてはそうさせなかったわけです。
 
そこで、子どもだって生き物なんだから命があるんだと、当たり前のことに改めて気づいたんです。子どもにとって、学校との関係で、そういう事態が起こるのだとすれば、学校とは何なのか。学校の日常が戦争といっしょとまでは言わなくても、どこか生き物としての子どもがその子どもであろうとするのを脅かすような場所なのではないか。もしそうであれば、戦争神経症と同じようなことが起きてもおかしくないのではないか。
 
国家は、戦争がはじまったら兵隊になるような考え方を持たせるし、経済成長がはじまれば、産業戦士に育成していく。学校は、そういう考え方を植えつけていくためのシステムにすぎないのです。
(フォロ1周年記念集会・講演録「不登校は文化の森の入口」より)
 
そういう意味では、いまの社会に不登校というかたちで反応を示した人が、働くことができないと反応するのは、当たり前といえば、当たり前のことだ。しかし、この戦場には外部がない。いやおうなく巻き込まれてしまっている。徴兵=就労を拒否しようとするならば、「病気」だとか「障害」だとかの、免罪符が必要になる(実際は、それも免罪符にはならないけれども)。良心的懲兵=就労拒否の道はあるのか?
 
結局、徴兵とちがうのは、拒否したところで、それは自己責任で片づけられてしまうことだろう。拒否する人を支えるものは、家族しかない。だから、ひきこもらざるを得ない。家族の支えのない人は、ひきこもること=拒否すらもできない。大ざっぱにイメージだけで言えば、戦場ではない世界に生きようとするならば、必要なのは、家族を超えた、おたがいさまの関係だろう。NPO=非営利活動というのは、そういう活動のはずではないのか。
 
しかし、それは市場経済の外部にあるのではない。市場に覆い尽くされてしまった社会の内部にあって、イメージしていくほかない。
 
青臭いようだけど、ジョン・レノンが“Imagine”と歌ったように、まずは想像することからしか、始まらないのだ、きっと。

 

今日のづら研

今日のづら研は、前回の「働くこと」をテーマにしたワークショップ(KJ法)を受けて、Tさんがレポートし、参加者で話し合った。同じテーマで行なった大学生の結果などとも比較し、いろいろなちがいが見えて、おもしろかった。
 
大学生に特徴的だったのは、働くことについて正社員をイメージしていること、そこに疑いがあまり見られないこと、出世や「やりがい」など、ポジティブな要素が多く見られたことだった。同じ大学生でも、女性だけのグループでは、「プライベート重視」「出会いの場」「ワークライフバランス」など、半身で仕事を捉えているのも、おもしろかった。
 
それに対して、づら研の20代メンバーに特徴的だったのは、ポジティブな要素が皆無でネガティブな要素が多かったこと、イメージがやや抽象的であること、想定されているのがバイトなど非正規雇用であること、お金を稼ぐことへの疑問や、自分を殺さないといけないことへの疑問など、“問い”が含まれていることだった。しかし、働いて一人前(の男!?)の価値観は根強いものがあるようで、“ひきこもり名人”勝山実さんが「半人前でけっこう」「安心ひきこもりライフ」というような、働かないことを肯定してしまうような言葉は見られなかった。
 
KJ法は、価値判断する前に、思いついた言葉を次々に出していくので、それだけに本音が出る面があるのだろう。後づけで考えたら、いろいろ疑問も出てくるが、それがおもしろかった。
 
低学歴のほうが、当然のことながら、むきだしの、キツイ労働にさらされる面がある。だからこそ、ついていけなさを感じ、現実と乖離して、抽象化してネガティブに捉えざるを得ない面があるのかもしれない。大学生の、比較的、楽観的な労働感を見ると、何かヴェールに包まれているようにさえ思えるところがあった。しかし、彼らもシューカツ前だったとのことで、それも現実にうち砕かれるイメージではあるのだろう。
 
むきだしの営利競争に勝ち残るか、負け組か――これでは戦場そのものになってしまう。前回、参加できなかったメンバーは、「私にとって、働くことのイメージは死だ」とまで言っていた。
 
私が働くことについて思ったのは、NPOなどで働くことが、もっと確立できたらよいのに、ということだった。かつては、もう少し、オルタナティブな生き方への希望があった。いまは、社会全体が余裕をなくすなかで、働くことへのイメージも、ものすごく貧困になっている。
 
しかし、成果主義、営利一辺倒の社会では、NPO活動さえも成果主義に呑み込まれてしまっている。営利目的ではなく、行政の枠組みでもなく、しかも受益者負担でもなく、となると、三重苦で“NPOプア”に追い込まれてしまう(いまの目前の現実!)。
 
メンバーのひとりは、「活動家として生きていけたらいいのに」とつぶやいていたけれども、活動家は、それを支えるチャリティ文化なりバックボーンがないと、やっていけない。ベーシックインカムが望ましいと思うのは、人が営利活動以外に労力を割けるようになるのではないかという期待があるからだ。営利は、煎じ詰めれば自分だけのためになってしまう。働くことは、他者とのつながりのなかにあるからこそ、やりがいにもなるのだろう。いまは、働くことが、あまりに営利の原理に侵されすぎたのだ。非営利で働くということについて、あらためて考えたいと思った。
 

時間について思ったこと

8月のづら研のテーマは、「時間について」だった。「自分の生きづらさは時間です」というFさんがレポート。Fさんは言う。
 
 高校受験のとき、時間は進学のためにありました。
 働いているとき、時間はお金のためにありました。
 進学やお金はそんなに大切なことだったのでしょうか。自分にはよく分かりません。よく分からないけど、今でもその価値観に縛られて時間を過ごすことが不自由に感じることがよくあります。
 
 
誰しも時間をもてあましたり、時間が流れなくて困ったという経験はあるのではないだろうか。忙しくても困るが、あんまりヒマでも困る。とくに、不登校やひきこもりにおいて、そういう時間と向き合った人は多いだろう。
 
議論は多岐にわたったのだが、まとめきれないので、私が議論のなかで思い浮かんだことを少し書きたい。それは、時間には3つくらい位相があるようだ、ということだ。それを、労働の時間/生活の時間/無為の時間と考えてみた。労働あるいは勉強の時間は、近代化された会社組織や学校のなかで、目的に向かって直線に精密に流れていく時計じかけの時間。生活の時間は、料理や家事や子育てなど、生き物や生活と結びついた時間。無為の時間は、そういう時間から撤退して、自分とのみ向き合うような時間。たぶん、人は3つの位相を同時に生きていて、そのときどきでバランスが変わっているのだと思う。
 
しかし、いまはあまりに労働の時間ばかりが幅をきかせていて、生活や無為の時間が縮んでしまっているのではないか。とくに子ども時代は、無為あるいは遊びの時間が、とても大事なように思う。それが、サラリーマンよろしく労働の時間でつぶされてしまっている。無為の時間からしか生み出されないものがある。それは、労働の生産とはちがう価値のものだ。
 
貴戸理恵さんからは、「無為の時間でも、大人になってからだと、苦しいばかりの無為の時間もある。それはあやうい時間でもあるのでは」という意見をいただいた。たしかに、その通りだと思う。でも、自分が縛られている価値観を相対化したり、生き方を見直すようなとき、誰しもそういうあやうい時間をくぐることはあるのではないだろうか。無為の時間をすごす知恵や工夫というのも、必要なことなのではないかと私は思った。
 
 
次回のづら研は、働くことについて、KJ法を使って議論する予定。

づら研、始めます。

フォロで、生きづらさからの当事者研究なるものを始めることにした。
通称、“づら研”。
コーディネーターとして、社会学者の貴戸理恵さんに入っていただき、6月から始める。
以下、呼びかけの案内など。

…………………………………………………………………………………………………………

人が「生きづらい」というとき、それを本人の問題(発達障害、精神障害etc...)に限定してしまうのは、問題を歪めてしまってます。こんなキツキツの社会で、生きづらくない人なんているのかと思います。しかし一方で、「社会の問題」とばかり言っていても、自分の生きづらさが解けるわけではありません。自分の生きづらさ、抱える「問題」からこそ、“自分”を通して見える“社会”があり、そこから関係のあり方を模索することができるのではないでしょうか。そこには、自分にしか解けない問いがあるのでしょう。それを「研究」という切り口で、他者と共有していくことができないか。そうした思いから、「生きづらさからの当事者研究会」、通称“づら研”を始めます。関心のある方、どなたでも、ぜひお問い合わせください。
 
・開催日 月1回 第1月曜日 午後1時~5時(6月から開始)
 
・コーディネーター:貴戸理恵(関西学院大学助教)
 
・事務窓口:山下耕平
 
・連絡先 ℡06-6946-1507(フォロ)
     携帯090-8481-7979(山下)
     E-mail:communitas@foro.jp
 
・規約
 
第1条 本会は、自分の生きづらさを自分に閉じこめず、研究を通して他者と問いを共有することを目的とする。 
 
第2条 本会の名称を「生きづらさからの当事者研究会」とする。
 
第3条 本会は以下の活動をおこなう。 
 
 定例の研究会、会員相互の討論、共同研究、研究成果の発表、シンポジウムなど公開イベント、そのほか研究に必要な活動など。
 
第5条 定例研究会は、毎月第1月曜日、午後1時~5時に開く。定員を10名とする。
 
第6条 本会の目的に賛同する人は、誰でも参加できる。
    参加費は、フォロ会員は500円、会員外は1000円とする。
 
第7条 事務所は、下記におく。
    大阪市中央区徳井町1-1-3 特定非営利活動法人フォロ

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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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