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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

© NPO法人フォロ

   
カテゴリー「サロン」の記事一覧

空き地であり続けた10年

昨日は、なるにわ(コムニタス・フォロ)10周年こまつりでした。
10年前、「コムニタス・フォロ」という名前で、18歳以上の人の居場所を始めました。「ニートって言うな! ひきこもりって言うな!」をキャッチコピーに、人間が値踏みされることのない、「何者」かでなくてもよい場所として呼びかけたのでした。ひきこもり支援とか、ニート対策の就労支援とかではなくて、そういうまなざしから名づけられること自体を返上して、人が集まれる空き地みたいな場所。その趣旨は、2年半前に「なるにわ」にリニューアルしてからも、変わりありません。

10年のあいだには、まあ、いろんなことがあり、いい面ばかりを振り返って自己満足しようとは思いません。ただ、誇ってよいとすれば、空き地みたいな場所を、空き地として保ちながら、やってきたということだと思っています。そして、そんな場が、よく10年も続いてきたなと思います。もうひとつ、すごいと思うのは、ずっと開き続けてきて、参加者が誰もいなかった日は1回もないということです(私含めて3名くらいという寂しい日は、ちょいちょいありましたが)。

目的ありきの場ではない、しかし、参加者の思いや意志のようなものが、何か引き合うものがあって、場が成り立ってきた。それは、誇ってよいことだと思います。そして、その波みたいなものは、どこかで共鳴していて、いろんな縁を生み続けているように感じています。波は、ときに荒れることもあるものですが、その波みたいなものに、私は希望を感じています。

これまで関わってきてくださった、すべてのみなさんに感謝しつつ、今後も波にたゆたいつつ、やっていければと思っています。 (山下耕平)


昨日の夕飯のようす。インドカレーなど。お祝いで河内ワインをいただきました。
そのそばに見えるビンは、デスソースです。

セミ&コオロギ祭り!

8月6日、今年もセミ祭りを開くことができました。
3人でなるにわ近くの公園2カ所をまわり、1時間くらいで40匹ほど捕獲。時期的なものもあると思いますが、今年はクマゼミが多かったです。

セミは軽く湯通しして絞めたあと、オーブンで水分を飛ばしてから、半分は素揚げに、もう半分はオリーブオイルとチーズをかけ、再びオーブンで焼き上げました。

クマゼミは、やはり外骨格がしっかりしていて殻の噛みごたえがありますが、中身はしっかりとエビフライの尻尾付近のような、肉の味がします。

アブラゼミは、殻は薄く味はさっぱりしていて、どこか淡水に生息するエビのような味でした。どちらもビールに合いそうです。

また、今年はセミ以外の食材も食べてみようということで、コオロギの粉末を20%配合した、コオロギ・ショートパスタを用意しました。こちらは、山下さん曰く「森をイメージした」という、アボカドやマッシュルームなどキノコ3種、鶏挽き肉などの入った、濃いめのクリームパスタに。こげ茶色のパスタからは、以前に食べたカイコのさなぎに近いような、土っぽい風味がわずかにするものの、言われなければ「このパスタの色はきっと全粒粉を使っているからだろう」と思ってしまうくらい、違和感なくおいしくいただくことができました。

昆虫食の魅力は、狭い土地で養殖や捕獲ができ、かつ与える飼料の量が牛や豚と比べわずかで済み、温室効果ガスの排出量も少ないなどいろいろあるみたいですが、私は、生き物を捕まえ、そして殺して食べるという過程が、都市部にいながらすべて体験できるところにあると思います。

そして、今年も、セミの捕獲に夢中になりすぎて、体じゅうを蚊に刺されました。セミを「食べる」だけでなく、私も蚊に「食われてしまった」のです。ヒトが食物連鎖の頂点だなんてことはけっしてなく、生き物として、ときには食い、ときには食われる存在なんだなと、あらためて実感しました。

セミ祭り、来年も開催予定です。
今回参加した方もできなかった方も、よかったらぜひぜひ。

ごちそうさまでした。

(谷口)

高橋翼さんを囲んで

先週、14日のサロンでは、高橋翼さんを囲んでおしゃべりをした。高橋さんは石川県出身で、1977年生まれ。小学校5年生のときから学校に行かなくなり、その後、通信制高校に通いながらバイトをいくつもして、不登校新聞社で働くことをきっかけに東京に。短期間だったが、私はそこで高橋さんに出会った。その後、高橋さんは障害者介助の仕事に就き、2007年に大阪(泉大津市)で、障害当事者とともに自立生活センターを立ち上げている。
私が高橋さんを呼びたかったのは、ひとつには不登校について、表面的な物言いではなく、根っこのところから言葉にされている感じがすること。もうひとつには、ヘルパーとして「支援」について深く考え抜かれているように思ったことがある。ちょうど、なるにわ参加者にもヘルパーの仕事に就いている人もいるので、お招きして、いっしょにおしゃべりしたいと思ったのだ。


●不登校について

最初にうかがったのは、不登校経験のこと。高橋さんは、自分が直接いじめられていたわけではないものの、小学校3年生のころからクラスでいじめが起きるようになり、そのことに衝撃を受け、それが自分に向かうことに恐れを感じていた。たとえば、家が魚屋であるとか、泳ぎが得意でないとか、運動が苦手とか、ちょっとした差異が、いじめや暴力の引き金になり、仲間外れや嘲笑の的となる。高橋さんが学校を休みはじめたきっかけは、裁縫箱の色が周囲とちがったことだった。それがイヤで、家庭科のある火曜日だけ休むようになった。ところが、先生に「先生のために明日は来てくれないか」と求められ、「行きます」と言ったきり、行けなくなった。しかし、そのことは当時は絶対に言わなかったという。

行かなくなった当初は、家でゲーム三昧の日々で楽しかったが、まわりの反応から、しだいに自分を否定されていくように感じる。たとえば、友だちはだんだん遊びに来なくなり、こちらから遊びに行くと、友だちの親に追い返されたり、自分が遊びに行ったことに苦情を言われることまであった。あるいは、親戚に「学校に行ってないの?」と聞かれたとき、母親が「行っている」とウソをついたり……。

周囲には学校に行かない自分に対する否定的なまなざしがある。そして、いまの自分の状態を否定して、何とかしようと働きかけてくる。だから、フリースペースなどを勧められても、拒絶していたという。

その後、10代後半に、シンポジウムで当事者として話す機会があったのをきっかけに、当事者グループができて、冊子の発行などを始める。周囲の否定的なフィルターを通すのではなく、当事者どうしが出会い、情報発信していったことの意味は大きかっただろう。


●ヘルパーとして

後半は、ヘルパーについて、お話をうかがった。不登校当事者としては、周囲からの「支援」に否定的だった高橋さんは、支援についてどう思っているのか。

高橋さんは、「介助というのは、本人ができないことを代わりにするという当たり前のことで、とてもシンプルなものだ」という。しかし、そこで判断を支援者側がするのは当事者にとっては「うざい」。かといって、言われたことをこなすだけのロボットになってしまうと、支援者側がしんどい。なかには、割り切ってできる人もいるが、高橋さんの場合は、そうはいかなかったという。

たとえば、ヘルパーと障害者の関係だって、人間関係だから、まちがうこともあれば、行きちがうこともある。理不尽なことを言われることだってある。そういうとき、仕事だからと流してしまうのではなく、自分の感情や思いはちゃんと伝えるようにしているそうだ。また、自分が不登校の当事者として感じてきたことを語ると、向こうも自分のことを語ってくれ、そこで関係ができてくることもあるという。つまり、具体的な介助の局面だけではない、人間関係の部分が重要だということなのだろう。

ただ、仕事の仕方は人それぞれで、いろんなヘルパーがいることが大事なので、わりきってやる人がいてもいいし、いたほうがよい、あくまで自分の場合はそうしている、ということだった。


●ALSの現場

しかし、たとえばALSの方の場合などは、急速に症状が進行してコミュニケーションもどんどん難しくなっていく。それを本人も受けいれられないし、周囲も追いつかない。いらだちも募るし、高橋さんも、ALSの介助現場に入るのは、「さながら戦場に赴く気持ちだった」という。

ALS患者のうち、気管切開をして延命するのは3割。7割は拒否して死んでいくという。しかし、その意思決定は、医師や病院によって大きく異なっていて、周囲の考えが本人の意思に深く影響している。

ALSの介助現場では、生きていることのむきだしの部分に直面し、生きることの価値とは何なのか、考えさせられることも多い、ということだった。なるにわ参加者でも、ALSの介助現場に入っている人がいて、大変さを口にすることもあるので、ヘルパーどうしで、その大変さが共有できる場というのも必要のように感じた。


●埋めてはいけないこと

また、障害者であるがゆえに、家族と特定のヘルパーのみに関係が限定されてしまっていることもあるという。しかし、ヘルパーだけが友人というのはおかしい。関係の希薄さはヘルパーが埋められるものではないし、埋めてはいけないものだと高橋さんは言う。むしろ、本人の生きていく世界をいかに拡げていけるか。そのサポートを、どうできるか。なかには、海外旅行に行く人もいたり、どんどん世界を拡げていっている人もいる。しかし、なかなかそこが難しい場合もある(ALSの場合のように)。そこが悩ましいところだとのことだった。

支援者は、その難しさに直面しながら、葛藤しつつやっていくほかないのかもしれないと、自分の場合に引き寄せながら考えさせられた。難しいものは難しい。葛藤するよりほかないこともある。悩ましさは尽きないが、悩まなくなったら、おしまいなのかもしれない。(山下耕平)

問々タイム:おくすりの話

昨日(3月12日)の問々タイムは、「おくすりの話」。薬の是非を問うのではなく、飲んだときの作用や副作用などをシェアしようということだった。

まず、出てきた薬は、およそ下記。

・抗精神病薬:リスパダール、エビリファイ、セロクエル
・抗うつ剤(SSRI):フルボキサミン、デプロメール
・抗不安薬、安定剤:デパス、レキソタン、ベゲタミン、ドグマチール
・睡眠導入剤:グッドミン
・抗てんかん(躁うつ)薬:デパケン
・漢方:抑肝散、加味逍遙散

●薬の作用
薬の作用については、「効いているときはわからない」「むしろ、薬が切れたときに違和を感じることが多い」「効き目のわかりやすい薬は逆に怖い」ということだった。

薬が切れたときの現象(離脱症状?)としては、下記のような話があがった。

・排泄が活発になる(汗、尿、大便)
・貧血、体温が下がる、血圧が下がる(上が67など)
・スイッチが切れる。
・眠れなくなる。
・食べられなくなる。
・無気力になる。とけて消えたい。
・意識障害(チカチカ、クラクラ)、幻覚
・身体が水にひたった感じ。
・世界が色あせる。モノクロになる。

●副作用
副作用については、飲み始めのほうが出やすいということと、精神症状よりも、下記のような身体症状があがった。

・太る、乾燥肌、眠くなる、便秘。
・心臓バクバク、頻脈、不整脈。
・骨に影響する?(骨が短い、骨密度など)

●そのほか
・どうも自律神経とつながっているようだ。
・自分の状態としてしんどいのか、薬の影響でしんどいのか、わからないときがある。
・自分よりも周囲の必要性で飲んできた面がある。話をじっくり聴いてくれる人がいれば薬はいらないが、周囲も自分にばかりかまっていられない。悪循環を招かないために必要な面もある?
・処方されてすぐに自分の判断で服薬を止めた人もいたが、とくに長期間服用している場合は、離脱症状などの問題もあるので、減薬や服薬中止は医師と相談しながら。
・それぞれ、症状や必要性もちがうので、今回の話は、あくまで参考情報として。

※どの薬がどうという情報については、複数の薬を服用しているのでわかりにくいという話があったのと、無責任になってもよくないので、ここでは割愛します。

(山下耕平)

問々タイム:原動力について

時計の針をまきもどしまして、2月6日。
なるにわの一室ではおこたに肩を寄せあい、まんなかには差し入れのおかし(季節がら、きれいにラッピングされたチョコレートもあったりして)、それぞれの手もとにはあたかい飲みもの。カップや湯のみからあがるひかえめな湯気(でもメガネはくもる)。
これはいつもの冬の光景。わたしにとっては見慣れた少しの退屈と、平和の象徴。
ぼちぼちと、問々タイムが始まろうとしています。

はて、「問々タイム」とはなんぞや? と思われたみなさまにご説明。
これなる時間は、日ごろなんとなく疑問に思っていながら、なかなか人には言えない、聞けない思い、考え。ひとりでぐるぐる、悶々としているくらいなら、問いのきっかけに変えてしまうのもアリじゃない? と「悶々」の読みに「問」の字を当て、「問々タイム」の誕生です。つまり、「といとい」じゃなく、これで「もんもん」と読ませるんです。
ないなのなら つくってしまえ もんもんタイム(字あまり)。
ネタをあかせばテーマを決めて、それについておしゃべりする時間ってことなのですが、ネーミングにこだわってみたりみなかったりするのがなるにわです。

●原動力?
さてさて2月6日ですよ。この日のテーマは、ずばり「原動力」。
ふだん「お金がない」とか「余裕がない」、さらには「やる気がない」など、なにかとないないづくしな我々の「原動力」って一体なんでしょう? という問いかけです。
考えてみれば、ないないとこぼしながらもいちおう生きてるわたしたち。
そもそもどうして、「なるにわ」にみんな関わってるの?
づら研なんてめんどうくさいこと、わざわざやってるの?

「やったー! 明日はなるにわだ! みたいな感覚は全然ない」とは、なるにわとお付きあいの長いメンバーの声。
「そもそもモチベーションなんて気にするのは最初だけちゃうん?」
たしかに、長く続いてることって、もう習慣になってるものね。だいたい、ワクワクしようにも、ワクワクするのだってエネルギーはいるじゃないか、とあがる声あり。
「自分は半年ぐらいガーッてハマるけど、飽きてしまう。そしてまた別のことにハマる」
じっとしているのが苦手な人だっているしね。
「原動力、なんて言葉はかっこいいかもしれないけれど、そもそもどうなるかわかっていたら最初からやってない、っていう場合もあるよ。なるにわもそうだし(笑)」
とはコーディネータの発言。
おいおい、って思いつつ、気持ちはお察します。
「でも、やってないとそれはそれで不安なこともある」
考え考え口をひらく、今回のテーマの発案者。
たとえば?
「人と会って、しゃべることとか」
ああ。わたしの場合、それに対する依存傾向を自覚しています……。
原動力かどうかは知らないけど、ずっとやってないと逆につらいこともあるよねって、うなずく一同。
コーヒーとかタバコとか(まぁ、人としゃべることとか)、自分の生活にしみこんでいる依存には、「なぁなぁ依存」とこれまたネーミングをさしあげたい、なんて思います。
こんな感じで、ときに脱線しつつも、さまざまな興味ぶかい意見がかわされました。
一部ですが、登場していただきましょう。

●ワクワク依存?
・そもそも、最初のモチベーションとなるワクワクって、長続きしない。だから飽きてしまうのでは?(うっ……。たしかに)
・ワクワクが長続きしないからこそ、日常は安定している。それが安心にもつながる。
・ワクワクを無理に求めすぎると、なぁなぁじゃない依存にハマってしまう(?)。エスカレートしたり、次々に依存対象がかわってしまったりする。(この「ワクワクさん問題」、けっこう話がつきませんでした)
・人に合わせて生きるのが処世術になってしまっていて、友人から八方美人ならぬ三十六方美人だって言われた(三十六方美人?!)。
・自分の原動力は人に褒められたいって感情だから、褒められたらそこで完了してしまう……。
・それはわかるよ。なるにわにだって、いいこと思いついたから発言しにいこうって思うもん。クリティカルヒットな発言をしたいって。
・なるにわに来ている理由? 晩ごはんを食べに来てるよ。
などなどです。

●希求、こいねがう
こうして記憶のひきだしをひっくり返しながらぽつぽつとキーボードをたたいているわたし、書き手であるところの野田も、今回のテーマ「原動力」について、つらつらと考えました。

原動力……。なにかを始めるときの気持ち。自分を突き動かすもの。
わたしにとって、それはたぶん、誰にとってもままならない現実に対する、「それでも」って思う気持ち。希求するもの。こいねがうこと。
なんだかいきなり日常ではあまりつかわない単語がでてきて、中2病もいいところなんですが(そしそれは否定しないのですが)、希求っていうのは読んで字のごとく、のぞみ、もとめること。こいねがう、はもともと少女マンガで知った言葉なんですが、あらためて調べてみると「つよく願う。切望する」それらの「古風な、ややあらたまった言いかた」とのこと。漢字では「乞い願う」または「希う」。

ふむふむ。なんとなく、キーワードになってくるのは「希」なのかなと思います。現状に対して、「どうせこの程度」とタカをくくってしまったら、原動力は生まれたそばから消えてしまう。
誰も代わってくれない自分の人生。生きる世界、世の中。
生きていることの実感や、その手ざわりをきちんと感じて生きていきたい。
うまく伝えられるかわからないのですが、あんぱんまんのテーマソングや、中島みゆき作詞、TOKIOの「宙船」のサビの部分のイメージです。
なにごとも、まじめに考えすぎるのがわたしの性分で、実際の問々タイムでも、「わかる気がする」という声もあり、「そうかなぁ?」という声もあり。
でも、それでいいんだと思います。
それぞれの問いをかさねて、もっといえば響かせあって、「悶々」を「問々」に変化させていく時間、それが問々タイムであればと思うわけでして。
後半、やたらかっこつけた感じになりましたが、こうして短くはない感想を書いているわたし自身、「いいこと思いついたから記録しておこう」って気持ち、もちろんありますしね!
(野田彩花)

※ちなみに次回問々タイムは、3月12日(土)15時半より、「おくすりの話」を予定してます。薬の作用・副作用など、具体的なことについて情報をシェアしようという提案です。

ブラックサンダー、鬼祭り……

先週のサロンでのこと。いただきもののお菓子「白いブラックサンダー」を出した。「ホワイトサンダーならともかく、白いブラックサンダーって……」とツッコミを入れながら食べていたのだが、そういえば関東にいたころは、「ブラックサンダー」ってなかったなと思って、まわりに尋ねてみたところ、関西ではもちろん、東海出身の方も知っているとのことだった。
すると、ちょうどそこに愛知出身のMさんがやってきって、正月に帰省したときのお土産だと、「豊橋銘菓ブラックサンダー」と書かれた箱入りブラックサンダーを持ってこられたのだった。おお、ブラックサンダーは豊橋銘菓だったのかと謎が解明。
調べてみると、1994年に生まれた商品で、いまは売上げ1億3000万個を超える大ヒット商品。製造元の有楽製菓株式会社は、ほぼサンダーものしか作っていない。ラインナップの「クリスプサンダー」「ビッグサンダー」はよいとして、「ビッグサンダーミニバー」「白いブラックサンダー」など意味不明のものもある。東京進出して「東京サンダー」なる商品も出している。雷マークがデカデカとあって、きっと浅草で売っているのだろう。ちなみにブラックサンダーは、「ブラックサンダー号」というトラックで運ばれているそうだ。
さて、お土産に持ってきてくれたのは、「豊橋ブラックサンダーミニバー」。個装に豊橋名物がいろいろ描かれているのだが、なかでも目をひいたのが、「鬼祭り」だった。女性の鬼だという赤鬼は、なぜか亀甲縛りのように縛られている。Mさんに聴くと、「花祭り」とも言われて、三河地方ではあちこちである祭りだそうだ。荒ぶる神(鬼)が暴れているところに、武神(天狗)が現れて、秘術を尽くして闘う。最後は鬼が白い粉をまき散らして退散、豊作がもたらされるという。むう、おもしろい。意味深なことこの上ない。気になって、Youtubeで検索したら、豊橋市の公式チャンネルに動画があった。すばらしい「とん祭り」だ。ああ、行きたい……。


今年の一字

今日は年内最後のサロンだったので、今年の一字を持ち寄りました。
あがった字は、下記。

:いろんな人と交流した。
:わりと体調が安定していた。
:黙ることの意味を生まれて初めて考えた。
:戦争法案、テロ、野坂昭如の他界など。
:ひきこもっていた去年までと比べると忙しかった。
:あれがしたい、これがしたいと欲はあるが、まだ何もできてない。
:関係が切れてしまうことがいくつかあって、切なかった。
:疲労、心労いろいろあって、労って(いたわって)ほしい。
:最近、水がおいしいと感じる。上善如水。
:よく生きているなと思う。
:……
:……


くわしくは書けませんが、まあ、それぞれ、いろいろなことがあった1年だったようです。来年もいろいろあることでしょう。ということで、よいお年を。

ヘルパーの仕事について

今日のサロンでは、ヘルパーの仕事をしている、なるにわ参加者二人に、話をうかがった。
二人とも、登録ヘルパーとして働いている。資格で言えば介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)で、おもに利用者の家に派遣されて、在宅介護をしている。仕事内容は、食事、洗濯、買い物、排泄介助や寝返り介助、ベッド移乗、吸引介助、胃ろう、外出介助など。

利用者は、障害名で言えば、知的障害、自閉症、ALS、統合失調症など。視覚障害や聴覚障害の利用者はあまりいないとのこと。

仕事をしていて、つらいことは何か聴いてみたところ、まず、「板挟みになること」との話があった。ヘルパーは、ややもすると、利用者、事業所、家族の三つどもえの板挟みになってしまう。とくに利用者の側に立とうとすると、板挟みになる。たとえば歯磨きひとつでも、利用者本人はさほど必要と感じてなくて、たまにサボることがあると、事業所から怒られてしまったりする。

また、利用者とのコミュニケーションが難しいときはつらい、という話があった。たとえば、ALSの利用者さんの場合、文字盤やPCを通じて、一文字ずつのコミュニケーションになる。何より利用者本人がもどかしいことと思うが、ヘルパーのほうも大変にちがいないと感じた。

逆に、うれしかったときのことを聴くと、感謝してもらえたとき、家族との関係がうまくいっているとき、おつかされさまの一言があったとき、つながっている感じが持てているとき、という話があった。

つらいことも、うれしいことも、作業内容そのものではなく、コミュニケーションにあった。まあ、これはどの仕事にも言えることかもしれない。また、ヘルパーの仕事は言葉ではなく身体を通じてのコミュニケーションでもあるので、そのあたりの呼吸がつながっていることが、大事なのだろうと感じた。「言葉を発語しない人でも、こちらの言っていることは伝わる」という話もあった。

言語以前のところでの関係性が、「支援」の質を決めるのかもしれない。そういう意味では、板挟みになることがあっても利用者の側に立とうとしながら仕事をしている、お二人の姿勢には、頭が下がる思いがした。

そして、それはまた、あらゆる「支援」の現場にも通じる話だと思った。(山下耕平)

づらたん、うたかい、しんしん

づらたん(生きづらさ短歌会)を開いた。歌人の鳥居さんが企画してくださった。
当日は11名が参加、参加者のひとりが感想を寄せてくれましたので、掲載します。
…………………………………………………………………………………………………

言葉は、生きている。

その力を信じる人がいるかぎり。

歌人は、世界のひみつを握っている。

三十一文字を詠い続けるかぎり。

あの、少しさむい部屋で、おこたをぐるりと囲んで、みんな少し猫背気味に一枚の紙と向き合っていた。

紙の白さは、室内灯の明かりを受けてつるりと光っていた。

紙には、短歌が「いた」。

そこに確かに、もしかしたら人間よりも力を持って、存在していた。

お茶のおかわりに立つとき、お手洗いから帰ってきたとき、ふと室内を俯瞰したときに胸に迫ってきた実感は、言葉にするならそんな風に言えるかもしれない。

私もまた静かに、その世界に戻っていった。

そこには確かに、世界があった。

三十一文字でしかつくれない、三十一文字でしか行かれない、世界があった。

私はその世界のはしっこに、ちょびっと混ぜてもらっただけだったけれど、その世界のうつくしさ、危うさ、確かさ、静寂。

それらの先端(尖端?)に触れるには充分な時間だったと思う。

しずかな熱さが、その空間には確かにあった。

だから私も、楽しかった、おもしろかった、そんな言葉よりもっとずっと、興奮していた。

その興奮は、不思議とひんやりしていた。 雪の日をしんしん歩くみたいに。

「歌会」というより「うたかい」だった。

(「たたかい」という言葉と、すこし似ている)

そこに当てはめるべき意味は、それぞれにちがっていて、だからこそ無限の可能性がある。

それぞれが必死に握りしめている、あるいはつかもうとしている世界の秘密がそこにはあって、だからやっぱり、歌人には秘密のにおいがした。いまも、している。

私はおそらく歌人にはなれない。

でも、言葉の力を信じているのは私も同じだ。

歌人でなくても、言葉の力を信じている人なら、歌会はまちがいなく「うたかい」になる。

初心者が、生きた言葉に、短歌に出会える機会は、きっと私が思っているよりずっと貴重なことだと思う。

私にその魅力を教えてくれた「づらたん」と鳥居さん、参加者のみなさまに、感謝と、敬意と、こころの花束を。

(それぞれお好きな花をかざってください)

ありがとうございました。


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自己紹介:
「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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