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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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カテゴリー「雑記」の記事一覧

ひさびさの更新

長らくブログを放置してしまった。3カ月以上、更新がないと広告が出るそうで、ページのトップにカードローンの広告が出ていた……(この記事で更新されて消えるはず)。

もともと、マメなほうではないのだが、このところは、どうも出力回路が開かなくて、そういうときに無理に引き出して書いたものはおもしろくないし(引き出しはよくない!)、放っておいた。そうしたら、メンバーから「ブログはもっと活用してもよいのでは」「あそこが動いてないと本当に活動してるかわからんし」などの意見もあって、ではでは、メンバーの声をもっと載せようということになった。コムニタスの日常を紹介する冊子も作成することになり、まもなく完成予定。冊子掲載原稿も、ブログに掲載する。

なので、しばらくは、ブログがマメに更新される予定。


渡辺位さん

何を問うても、自分に問いが返ってくる。渡辺位さんとお話していると、いつもそうだった。そういう意味で、多くの方にとってそうであったように、私にとっても、まさに「鏡」としてきた存在だった。何というか、まるで「無」に対しているような感があった。

自分を問い、自分が縛られている価値観を問い直していくこと。そういう作業をすっ飛ばして、現象だけを見ることは、まちがっているということ。一言で言えば、そういうことを教わってきたように思う。

その渡辺位さんが、他界された。

個人的な思いを言えば、2月に上梓した拙著『迷子の時代を生き抜くために』は、ある意味では、渡辺さんから教わったことを、自分なりにかたちにしたようなものだった。渡辺さんには草稿段階で読んでいただき、昨夏には、かなり長時間にわたって、おしゃべりさせていただいた。渡辺さんは、とても評価してくださり、推薦文まで書いてくださった。それに見合う内容かどうかはわからないが、恥じぬようにありたいと思う。

渡辺さんは、こういう言葉を遺されたそうだ。
「私は、どこにも行かない。みなさんのところに居る。いつでも話しかけてください」

もう、直接に問うことはできなくなってしまった。しかし、これからも渡辺さんに問い続けながら、自分を問い、そこから人とつながっていきたい。

だから、「冥福」なんて祈らない。ただただ、祈りたい。


迷子の時代を生き抜くために

拙いながら、本を上梓した。
タイトルは『迷子の時代を生き抜くために―不登校・ひきこもりから見えてくる地平』

maigo.gif
いまは、学校に行かない子どもや、ひきこもっている若者にかぎらず、誰もが迷子で、不安な時代だと思う。学校に行きさえすれば安心とは、誰も思っていない。カイシャに勤めていれば安心とは、誰も思っていない。すごく不安で苦しい時代にはちがいないのだけれど、だからこそ、見えてくるものがあるように思う。そんな思いから執筆した。
 
ただ、不登校の当事者運動やフリースクール運動などを、ある意味では(自己)批判的に捉え直した内容でもあるので、ご異論のある方もいると思う。ぜひ、いろんな方と意見交換できればと願っている。迷子の時代を、ともに生き抜くために――。

ジョン・ケージ、空き地、居場所の哲学

ジョン・ケージ(1912-1992)という現代音楽家がいる。有名なのは“4分33秒”という「曲」。フルオーケストラを前に、指揮者が時計をもって登壇。そのまま4分33秒、沈黙のまま時間が過ぎる。しだいに会場はざわめき、そのざわめきが音楽になっている。ジョン・ケージは、音に対する沈黙を重視した音楽家だ。そのきわめつきが“4分33秒”だろうが、この発想が、私はとても好きだ。観客は、お客さんとして音楽を聴きに来ている。そこに沈黙をぽっかりと広げてしまい、お客さんは聴き手ではなく、音楽の主体になってしまう。ジョン・ケージは、禅の鈴木大拙など東洋哲学の影響を大きく受けているが、“4分33秒”などは、とても禅的な発想だと思う。

居場所についても、そういう哲学が必要なように思う。フリースクールに子どもが何を求めているか(親ではなく!)といえば、私は居場所だと思う。居場所とは何かといえば、たとえば空き地のようなものだろう。何かの目的や利益を求めて集まるのではなく、そこに空白があるからこそ、人が集まる。そういう場。スタッフが何かを一方的に与えるのではなく、空き地的な場であるからこそ、そこにざわめきや共鳴がある。そこでは、子どもはお客さんではなく、居場所の主体になる。

フリースクールという言葉は、よく知られるようになった。見ていないが、いまやっているNHKのドラマでも、フリースクールが舞台になっているという。最近になって、フリースクール議員連盟などというものもできた。会長は文科大臣だ。構造改革特区を利用して学校を設立したフリースクールもある。ある意味でフリースクールは認知を得てきたと言える。

しかし、なんかズレている。フリースクールという名称に込められている活動は、オルタナティブな教育だったり、補修塾的な意味合いだったり、適応指導教室のようなものだったり、さまざまだ。もともとは、イギリスのサマーヒルスクールが発祥と言われるように、オルタナティブな教育実践の「学校」だと言えようが、こと日本においては、居場所として求められてきたのだと私は思う。

空き地を空き地として維持するのには、哲学がいる。哲学がないと、そこはあっというまに、目的(商品価値)のために使われてしまう。あるいは、居場所として活動しているつもりでも、まったく無作為に開いていると、特定の趣味趣向の場となってしまったりして、それ以外の人は入っていけなくなってしまったりする。だけど、フリースクールが空き地=居場所でなくなったら、おしまいだ。

考えてみたら、「フォロ」という名前も、広場の意味だ。子どもにとっても、若者にとっても、そしてオトナにとっても、広場であり続けたい。

※近々、「映画のじかん」で、ジョン・ケージのドキュメンタリー映画を観る予定。

※“4分33秒”は、Youtubeでも観られる。 ↓ ↓ 


あらためて不登校について

コムニタスの話ではないのだが、私が関わってきた全国不登校新聞社が、この5月で10周年となった。『不登校新聞』を創刊したのが1998年5月、その後、4年前に『Fonte』と名称を変え、若者問題にも視野を広げて発行してきた。そんなこともあって、このところは、不登校について、あらためて考えなおすことがたくさんあった。いまは、いろんな意味で問い直しが必要な時期だと感じている。

それで思い出したのだが、『フリーターズフリー』のサイトに掲載された座談会がある。「不登校再考」と題した座談会で、私も出席させていただいて、つらつらと思うところを話している。ちょっと長いが、興味のある方は読んでいただければと思う。
http://www.freetersfree.org/20080106_futokosaiko.htm

『フリーターズフリー』は、まもなく第2号が発売される予定だ。
→これは『フリーター論争2.0』発売のまちがいでした。
『フリーターズフリー』第2号発売は、秋ぐらいになるとか。


そういえばコムニタスでも、メンバーからの提案で、来週のサロン(31日)では不登校をテーマに話し合うことにしている。


風邪

この間、このブログに報告したいこともいろいろあったのだが、2週間近く、風邪にやられて、いろんなことが滞ってしまっていた。治りかけでムチャをしたせいか、ぶり返してしまって、今回は一度で二度ひいた感じだった。風邪をひいたときは、基本的には医者にもクスリにも頼らず、経過するにまかせることにしているのだが、一昨日はせきがひどくて寝られなかったので、ついに「コンタック」を飲んだ。効いたかどうかよくわからなかったけど。

野口整体では、風邪は身体をリフレッシュする機会になっていると考えるそうだ。たしかに、風邪から回復すると身体がスッキリと軽くなった感じになる。食べ物もシンプルなものしか受けつけず、汗もいっぱいかくし、身体に溜まったいろんなものを排出してくれる機会になっている気はする。症状だけをみてクスリで治そうとすると、そのせっかくの機会をなくしてしまうことになるんじゃないか。そんなふうに思って、ふだんは医者にもクスリにも頼らないのだが、今回はめげた。

しかし、弱っているときというのは、「自分」と思っているもののはかなさを感じてしまう。ふだん「自分」と思っているものは、食べ物とか空気とか水とか、分子とか「気」とか、いろんな流れのバランスのうえに成り立っているのだろう。それがちょっと失調するだけで、ヒイヒイ言ってしまう。でも、その「自分」をいたわってくれたり、気づかってくれたり、受けいれたりしてくれる人が周りにいると、すごく「生きているな~」と感じる。いちばん迷惑をかけるのは家族で、2週間もゲホゲホされていては、さぞうっとうしかっただろうと思うが、イヤな顔ひとつせずに日常をいっしょに過ごしてくれる人がいるというのは、とってもありがたい。コムニタスのサロンでも、いろいろ気づかってくれたり、「今日は早く帰ったらどうですか」と片づけをどしどしやってくれたりする人もいて、ありがたいなとつくづく感じた。

月並みなようだが、たまには失調することがないと、ありがたみを忘れてしまうことってあるなと思った。そういう意味では、風邪は関係をリフレッシュする機会でもあるのだろう。風邪だけじゃなく、いろんな病気や失調や失敗も……。

しかし、今回はしんどかった。が、もう過去形です。ようやく回復しました。お気づかいいただいた方々、ありがとうございました。


シンポジウムのお知らせ

3/23に、以下のような催しがあって、そのシンポジストのひとりとして、私も参加させていただく。
“こわれもの”の月乃さんも来るので、お近くの方、よかったらどうぞ。

●愛と表現のために~信じる仕事をコツコツとつづけること
会 場:南方人権文化センター
第一部 パフォーマンス 14:00~
月乃光司(朗読)、上田假奈代(朗読) 

第二部 トークセッション 14:50~16:00
生田武志(野宿者ネットワーク)、月乃光司(こわれ者の祭典)、山下耕平(コ
ムニタスフォロ)、上田假奈代(ココルーム)

開催場所・問い合わせ先
大阪市立南方人権文化センター
大阪市東淀川区東中島2丁目20-18 TEL:06-6322-9200 

http://www.kanayo-net.com/cocoroom/


パスタ屋さんを始める。

唐突だが、来年度よりフォロの事業のひとつとして、パスタのお店を始めることにした。この4月より月に1回、堺市にある店舗をお借りして、おいしくて安心な、心も体も満足するパスタを出すお店を開く。このお店を通じて、人が交流できる場をつくること、食べ物を楽しみ、考えあえる場をつくること、食材の生産者と交流すること、若い人たちの仕事の場や、仕事のスキルを磨く場をつくること、などを目的としている。まだ試験的な段階で、月に1回なので、できることは限られているが、だんだん活動を拡げていくことができればと考えている。
↓くわしくは下記サイトを↓
http://www.foro.jp/taverna/

オープンは4/17(木)。お近くの方、ぜひお越しを。


紙芝居「むすび」、パレード「愛と表現のために」

IMG_5432.JPG
少し前になるが、12月22日、釜ヶ崎のおじさんたちの紙芝居「むすび」の自主公演を、フォロで開いていただいた。ロンドン公演の報告会をかねての自主公演。ビデオや紙芝居で、ロンドンでのようすを報告していただいたが、ロンドンでも日本でも、まったく変わらない、素のままのおじさんたちの姿は、見ていて、とっても心地よかった。オープニングの釜ヶ崎ダンスから、紙芝居まで、おじさんたちの発する空気に、こちらはゆるみっぱなしだった。コムニタス・フォロも、ゆるくあることをテーマにしているが、おじさんたちには、まだまだ足下にも及ばないと感じ入った。

昨日(30日)は、ココルーム主催のパレード「愛と表現のために」に参加してきた。堺筋をくだっていく“堺筋パレード”。パレードとはいえ、十数人で淡々と歩道を歩いていくだけ。しかも、年末のオフィス街は人もまばらで、傍目にはちょっとあやしげな通行人でしかなかったろう。何か主張を叫ぶわけではない。シャボン玉を吹いたり。愛のメッセージを書き込んでもらったり、これまた、これ以上はないほどのゆるいパレード。寒波襲来で、冷え込みは厳しかったが、おたがいを(そして街をも?)ゆるめ、あたためていくパレードだった。

早いもので今年もおしまいだ。来年もまた、おたがいをゆるめ合っていけるような関係を、少しずつ拡げていきたい。


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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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