忍者ブログ

なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

© NPO法人フォロ

   
カテゴリー「「聞く」プロジェクト」の記事一覧

イラクの現実は…

IMG_5064.JPG
先日、フリージャーナリストの西谷文和さんにお越しいただき、イラクの現実について、映像とともにお話しいただいた。

クラスター爆弾の不発弾をさわって、身体中に破片を浴びた少年、片足が吹き飛んだ少年、劣化ウラン弾の影響と思われる腫瘍のできた子どもたち、薬不足のために治療を受けられずに死んでいく子どもたち……。戦争は戦闘のみではない。戦闘が終わったあとも、いつまでも影響は続き、人々を苦しめている。

映像とともに突きつけられた現実は、あまりに凄絶で、簡単には整理できない。どこかで、よその国の話として、眼を背けたくなる自分がいる。たぶんそれは、暴力がどこまでも不条理で、被害者が被害に遭わなければいけない理由が微塵もないからだ。
そして、この不条理な暴力によって、利益を得ている人たちがいる。日本だって、直接的ではないかもしれないが、その利益のおこぼれにはあずかっている。だからよけいに、“不都合な真実”は直視したくない。そして、死者の人数や、爆発の映像や、わかったような解説で、私たちは麻痺してしまう。

西谷さんは、吹田市の職員という安定した立場を捨て、フリーのジャーナリストとして活動している。治安の悪化する一方のイラクに何度も訪れ、取材活動のかたわら、医薬品を届けるなど支援活動をしている。「家族もいるのに、なぜそこまで?」とたずねると、「実際の現実を目の当たりにして、被害に遭っている人たちと関わったからだと思う」と答えられた。

「目を見はるんだ。すべては隠されている」と言ったのは、ボブ・ディランだったと思うが、膨大な情報のなかで、私たちの現実感覚は、どこかおかしくなっている。麻痺しちゃいけない、とあらためて思った。


深遠なる下水文化

ゴミの埋立地に行ったり、犬管理事務所(保健所)に行ったり、葬儀のお話を聞いたり、コムニタス・フォロでは、ある意味での「死」に関心を抱いている。日常生活から排除されたものは、その後、どうなっているのか? その現場を知りたい! そして、その現場の未踏峰に、下水道がある。下水道の中に入ってみたいと、大阪府や大阪市に何度か掛け合ったが、これはどうも難しい。メタンガスが発生しているので危険だったり、工事中のところは、それはそれで危険だったりして、しかも見学施設はわりと充実しているので「そちらで見学してくれ」という話になってしまう。う~ん、でも下水道について、もっと深めて知りたいと思っていたところ、日本下水文化研究会なるNPOがあることを知った。
さっそく連絡をとったところ、関西支部支部長の木村淳弘さんが快く応じてくださり、お話しに来ていただいた。

下水文化は、じつに深い。世界の下水の歴史に始まり、日本の下水文化について、世界のトイレ事情など、あれこれお話をうかがった。ヨーロッパで歩道が整備されていたのは、車道部分に糞尿を垂れ流していたためだったこと、ヨーロッパでは19世紀まで糞尿のために非常に不衛生だったこと、それに比べ日本は鎌倉以降、糞尿を肥料として活用したため、きわめて衛生的かつ合理的な都市を形成していたこと。また、飛鳥時代から奈良時代にかけて20回も遷都したのは、都が糞尿にまみれて耐えきれなくなったからだという説など、歴史を下水から考えると、いままでにない視点で見えてくることがたくさんあった。お話は、どれも興味深く、下水文化の深さを堪能した。
とくに興味深かったのは、人糞を肥料にしていたのは中国、韓国、日本だけで、しかも人糞に経済価値を見いだして、制度的に取引するシステムをつくっていたのは、鎌倉以降の日本だけだという話だった。しかし、この偉大なるシステムも、戦後の日本では廃棄され、高コストで、しかも江戸に比べれば不衛生な、下水システムにとって代わられた。
では、今の時代に糞尿を肥料にできるかというと、サイクルが大きくなりすぎていて、難しいと木村さんは言う。ひとつには人口が大きくなりすぎたこと。それから、膨大な食料が海外から調達されているので、循環できなくなっていること。海外に糞尿を輸出すればつじつまは合うが、現実的には不可能だ。江戸時代は、人口3000万人くらいで、国内で食べ物や排泄物が循環していた。それによって、疫病の発生しない、世界にも例をみない衛生的で豊かな都市をかたちづくっていたのだ。
下水を見つめるだけで、世界史から文明のあり方まで見えてくる。糞尿の扱い方は、文明のあり方を体現していると言えるだろう。

soshoku.JPG
と、ひとしきり下水話を堪能したあと、「ごはんのじかん」にした(写真)。今日は粗食にしようということで、メニューは、自宅で発芽させた玄米と、ダシをたっぷりとった味噌汁、おからこんにゃくの唐揚げ、キャベツの塩もみ。まったくのベジタブルだったが、わりとボリュームはあった。ごはん中も、下水の話に花が咲いたのは、よかったのかどうか……。

シリーズ仕事人「葬儀サポートセンター」

「聞く」プロジェクトの一貫として、シリーズ仕事人というのを始めた。いろんな仕事の人に、仕事の実際を聞いていこうという企画である。その第1弾として、昨日、葬儀サポートセンターの岩貞光祐(いわさだ・こうすけ)さんにお越しいただき、お話をうかがった。
0413iwasada.JPG
葬儀サポートセンターは、文字通り、葬儀のサポートをしている。メールや電話で相談を受け、その要望に応じた葬儀社をサポートセンターが紹介する。相談料は無料。葬儀社から紹介料を得て、事業を展開している。
葬儀というのは、思いもかけず突然必要となることが多く、消費者よりも業者主導で進められがちだ。そこで、消費者が相談でき、納得のいく葬儀のサポートをしようというわけである。相談件数は、事業開始以来4年間で7000件、葬儀件数にして2000件。ニーズの高さがうかがえる。しかも365日24時間対応で、スタッフは10名。それで、たいがいの場合は通夜や式にも立ち会うという。
もともとは社長とふたりで、しかもまったくの素人で始めたが、素人の眼だからこそ、見えてくるものがあって、役に立っているという。葬儀社を紹介する基準は、何より自分が葬儀を頼みたいと思えるかどうか。1件1件訪ね、自分自身が納得できるかで判断しているそうだ。また、葬儀社に対しては中立を貫くため、缶ジュース1本ですら「接待」は受けず、お中元などが来ても返すという徹底ぶりだった。

岩貞さんのお話ぶりからも、徹底して誠実であろうという姿勢はうかがえ、それでいて事業を拡大し、ニーズに応えているのは、なかなかすごいと感じた。しかし、ものすごく多忙なようなので、ストレスはないのか気になって聞いてみたが、それはきっぱりと否定された。岩貞さんは「むしろ、大きな組織で自分の思いどおりにならず、配慮ばかりしなければいけないほうがストレスになる」と語り、たいへんでも自分の裁量で仕事ができることに、自負を抱いているようだった。

たしかに、同じ忙しいのでも、自分なりのビジョンや思想を持って仕事ができる場合と、言われた仕事をこなさなければいけない場合では、まったくちがうだろう。そのあたりは、時間や量に換算できないものがあると思う。岩貞さんが自分の思想や信念を軸としながら仕事をしている姿勢には、とてもすがすがしい感じを受けた。
もちろん自分の思想と熱意を持って仕事に取り組んでいても、燃え尽きてしまうことだってあるだろう。自分の信念が揺らいだり、崩れることだってあるかもしれない。それは、それでいいんだと私は思う。ライフワークかどうかなんて、あらかじめわかるものではない。そのときどき、自分の見えている範囲で、ぶつかっていくしかないんじゃないかと、自分自身のことを省みつつ、そう思う。

関係の貧困

先日、野宿者ネットワークの生田武志さんにうかがった話のなかで、とくに自分たちにひきつけて考えられる点を、ここに書いてみたい。
まず、野宿の問題は、イス取りゲームの結果だという視点を、生田さんは示してくれた。雇用のイスはかぎられており、かならずあぶれる人はいる。そのとき、頼れる人がいなかったり、ストックが尽きてしまったり、さまざまな事情が重なって、だんだん野宿に追い込まれていく。野宿者は55~65歳の男性が圧倒的に多い。肉体労働の需要は若い人に偏り、生活保護は65歳以上にならないと受給しにくい。そのため、この年代に野宿化する人が多いのだ。しかし、皆無に近かった若い人や女性の野宿者も、最近はよく見かけるようになったという。また、正規雇用が急減してフリーターが増加した結果、若い人でインターネットカフェなどに寝泊まりしている「ネットカフェ難民」、新しい「ホームレス」が増えてきていると言われている。生田さんは、イギリスやアメリカに若年ホームレスが多いことを例にあげ、それは家族が若者を支える文化がないからだと指摘した。イタリアや日本では、成人しても家族が支えるため、若年者がホームレス化することは少ない。しかし、日本も状況は急激に変わってきており、やがて若者のホームレス化は一気に進むのではないか、と生田さんは語っていた。

ここで考えたいのは、関係の貧困の問題だ。人が人を支える関係がズタズタになっている。そのなかで、賃金を稼げない人を支えるのは、〈福祉〉か〈家族〉かに二極化している。障害者や高齢者は不十分ながら福祉の対象となるが、それ以外の層は、家族が支える以外にない。だから、家族の支えを失ったとき(ホームを失ったとき)、まったく孤立してしまう。その現象のひとつが野宿化ということだろう。しかし、これは野宿者のみの問題ではない。社会のなかに居場所がなくなって、スカスカになってしまったなか、核家族にしか居場所がないというのは、おそろしく貧困な社会だ。野宿者への偏見が根強いのは、恐怖感の裏返しだとも言えるだろう。
夜回りに参加させてもらったあと、メンバーのひとりは「こんなふうにはなりたくないという本音が出た。怖かった」と語ってくれた。その恐怖感は私にもある。それは、野宿生活への恐怖でもあるが、それ以上に、自分がお金を稼げなくなったとき、誰も支えてくれないことへの恐怖感だと思う。逆に言うならば、この恐怖感があるからこそ、多くの人はがむしゃらになって働くのだろう。この社会は、恐怖を原動力に、加速度的に動いている。
では、どうしたらよいのだろう?
雇用・労働の問題は措いて、関係の貧困のみにしぼって考えると、核家族に押しつけられている問題を社会に返上し、人が人を支える関係を、開かれたかたちでつくることが、切に必要だと思う。NPOが果たすべき役割というのは、そこにあると言ってもいいだろう。
具体的なことになると、いろいろ難しさや矛盾もあるが、このあたりは、もう少し整理して、また別に書いてみたい。


佐藤文隆さん来る

メンバーのMくん(19歳)は、中学生のころから、独学で物理学を学んでいる。
彼の話は、私が聞いても、よくわからないことが多いのだが、一度、宇宙物理学者に自分の意見をぶつけてみたいというので、第一線の宇宙物理学者、佐藤文隆さんにアポイントをとった。先生は快く申し出に応じてくださり、本日、フォロまで来てくださった。
1108sato.JPG
柔和な物腰とは裏腹に、学問に対する姿勢は厳しく、その気迫がビリビリと感じられた。
語っていただいたことは、以下にまとめたようなことだが、私が文字にしてしまうと、いかにも凡庸になってしまう。つまりは「学問をやりたいなら、基礎をキチンと学べ」ということを、おっしゃっていただいたわけだが、何より、言葉の背景にある、佐藤さんの姿勢を感じられたことが、得難い体験だったと思う。
Mくんは懇談のあと、「アタマが真っ白になった」と話していた。

以下、佐藤さんが語ってくれたことを、私のメモからまとめた。
(やました)


Profile

HN:
なるにわ
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

Twitter

ブログ内検索

カレンダー

10 2017/11 12
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

最新コメント

[04/06 鳥居]
[02/08 みやすけ]
[01/13 山下耕平]
[01/13 M]
[11/21 山下耕平]

QR Code

携帯からもアクセスできます。

AD

PR
Copyright ©  -- なるにわ ぶろぐ --  All Rights Reserved
Design by CriCri  / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]