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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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冊子原稿その7――手記

私は、強くならなくていい――コムニタスに出会って


しなくてもいい告白をします。

当初の予定では私、「テーマをもった話し合いについて」で原稿を仕上げるはずでした。しかし、待てど暮らせどびびっとこない。言いだしっぺが原稿落としてどーすんだ。冷や汗ものです。けれども降りてこないのです。こう、原稿の神さまが! もはや私の世界に神はいない! などと落ち込みあせっていたところ、親愛なるみやすけさん(嘘じゃないデスよ?)が前述の「テーマについて」の原稿をばっちり仕上げてくれたのです。捨てる神あれば拾う神あり。
 というわけで。ここからは、私の私による私の為の自己満足な文章です。ただの日記でもあり、メンバーに対しての手紙でもあり、全く知らないひとへの呼びかけでもあります。そういうものは得てして、一方的で青臭く、ひとりよがりでぶっちゃけウザイものです。ので、あー、面倒くせぇと思った方はどうぞ次のページをめくちゃって下さい。それでOKです……などと予防線張りまくってますが、そろそろ本題へ。

コムニタスと出会って、私が伝えたいと思ったことについて。

今でこそ、うるさいくらいおしゃべりで、一時も黙ってられない私ですが、言葉なんていらない、口がきけなくなればいいと、半ば本気で思っていた時期がある。両親にも兄弟にも、「ともだち」にも、自分の言葉が届かない。ただ死んでいくためだけにあるのなら、いっそ最初からなくてもいいのに。朝目が覚めて、まだ自分に声が存在することにがっかりしたことも、一度や二度じゃありません。今にして思えば、些細なすれ違いが、偶然重なっていただけ。自分を可哀相がりたかった面もある。でもあの頃、とてもささやかに、だけど確かに、私は絶望していたのだと思う。自分のことも他人のことも許せず、私は無口になった。

コムニタスに出会って、あの頃ほどけなかった想いを、私は少しずつほどいてゆくようになった。しゅるり、と最初のほどき目は、やっぱりコーディネータの山下さんや、メンバーに出会えたこと。私とは違う、私の知らない風景、知らない地平を生きてきたひとたちと出会う。その言葉を聴く。それはとても新鮮で、興味深く、思いがけず共感したりもする。だけど時々、ぼろりとこぼれるのは、それぞれが歩んできた道の険しさだったり、きずあとだったり。出会うたびに困惑する。それはそのひと個人にしか背負えないものであり、私はなんの力も持ち得ないから。
 でも、それでいいんだと思う。色んなひとに出会う、色んな道を知る。それらはただそこにあるだけで、とても愛しく、尊いものだと思うから。もちろん他人だもの、ちがう価値観だってある。うなずけない選択だってある。全部含めて、ただ大事にしたいと、私は思うようになった。それは多分、当たり前のように、私の道もただ大事にされているからだ。

次のほどき目。私はぽろぽろと、よく泣くようになった。

それは突然やってくる。親との関係だったり、昔のトラウマだったり、たまたまそのとき悩んでいることだったり。まぁそんな感じで、私がピーピー泣いている時のメンバーの対応。先に帰る人もいた。(遠くから来てる人は、終電の時間とかあるし。)黙って隣に座る人もいた。黙って、ちょっと遠い場所からオセロを始める人もいた。私は泣きながらも、そのオセロの勝敗が妙に気になった。後で心配して、メールをくれる人もいた。

つながらなかった想いとか、行き場のない感情だとか。自分でさえ持て余しているものを、当たり前のように、「あってもいいんじゃない?」って、その場の空気が言っていた。そういうこともあるさ、って。どんな励ましの言葉より、私の気持ちをなぞってくれた。嬉しかったです。ありがとう。

ここからは、普段面と向かっては言えないこと書きます。手紙みたいに。それはコムニタスのメンバーに向けたものでもあるし、これを読んでくれている、顔も知らないあなたに向けたものでもある。

いま私がいちばん言いたいこと。届かなくてもいい。声高に叫びたいわけじゃないから。コムニタスに来るようになって、色んなひとと出会って、コムニタスの中だけじゃなく、外にいるひとを見ていて感じたこと。

みんな、とても不安がっている。自分のことを、許せないでいる。もちろん私自身も。小学校で不登校になり、高校へも行かず、ずっとひきこもりを続けていて、外へでるようになった今でも、仕事をするわけでなく、学校にいってるわけでもない、宙ぶらりんの私みたいなひとだけじゃなく、学校へ行ったり、仕事をしたり、子供を育てたりしている「ふつう」の人たちも。

何を信じたら、誰を信じたらいいのかいつも迷っている。不安になって、今の自分じゃ許せなくて、もっともっと安定した、安心できる「立派」なひとになろうとひたすら頑張っている。その繰り返し。みんな、どんどん疲れていってる。社会全体を覆うその空気に、呑まれそうになる。私も不安だし、不安がる自分を許せない。だから、大きなことは言えない。強制も出来ない。するつもりもない。ほんのささやかな、だけど伝えたい、それだけのちっぽけな提案です。

不安を殺そうとするの、やめてみませんか?
自分を強くするより、その弱さを許してみませんか?
不安を抱えた、弱い自分と一緒に、生きてみませんか?

100%そうして、って言ってるわけじゃない。
戦わなきゃいけない場面はいっぱいあるだろうし、そのためには強くあることが必要なんだろうな、って想像くらいは出来る。きれいごとじゃすまされないことも。

だけど、どれだけ周りから認められ、賞賛されても自分を自分で許せないひとは、いつまでたっても苦しいだろうし、周り中が自分を認めてくれなくても、自分を許せている人は、どっかで踏みとどまると思う。だって、自分を許すって、そんなになまぬるいものじゃないんです。甘やかすのとは違うんだから。業の深い、汚い自分も見つめなきゃならないんだから。こういう逆説的な言い回しはあまり好きじゃないけれど、弱さを通すことだって、ひとつの強さだ、とも言えるかもしれない。

私は、強くならなくていいです。
弱い自分で、どこまでゆけるのか見てみたいんです。
結局は、それが言いたかっただけかもしれない。
結局ひとは、自分を見せびらかしたがる、それだけのエゴなのかも。
だけど、どうしても、一度言葉にしてみたかった。

ここまで付き合ってくれた奇特な方、どうもありがとう。
これからもよろしく、コムニタスのみなさん。

(ノディ)


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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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