忍者ブログ

なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

© NPO法人フォロ

   

時間について思ったこと

8月のづら研のテーマは、「時間について」だった。「自分の生きづらさは時間です」というFさんがレポート。Fさんは言う。
 
 高校受験のとき、時間は進学のためにありました。
 働いているとき、時間はお金のためにありました。
 進学やお金はそんなに大切なことだったのでしょうか。自分にはよく分かりません。よく分からないけど、今でもその価値観に縛られて時間を過ごすことが不自由に感じることがよくあります。
 
 
誰しも時間をもてあましたり、時間が流れなくて困ったという経験はあるのではないだろうか。忙しくても困るが、あんまりヒマでも困る。とくに、不登校やひきこもりにおいて、そういう時間と向き合った人は多いだろう。
 
議論は多岐にわたったのだが、まとめきれないので、私が議論のなかで思い浮かんだことを少し書きたい。それは、時間には3つくらい位相があるようだ、ということだ。それを、労働の時間/生活の時間/無為の時間と考えてみた。労働あるいは勉強の時間は、近代化された会社組織や学校のなかで、目的に向かって直線に精密に流れていく時計じかけの時間。生活の時間は、料理や家事や子育てなど、生き物や生活と結びついた時間。無為の時間は、そういう時間から撤退して、自分とのみ向き合うような時間。たぶん、人は3つの位相を同時に生きていて、そのときどきでバランスが変わっているのだと思う。
 
しかし、いまはあまりに労働の時間ばかりが幅をきかせていて、生活や無為の時間が縮んでしまっているのではないか。とくに子ども時代は、無為あるいは遊びの時間が、とても大事なように思う。それが、サラリーマンよろしく労働の時間でつぶされてしまっている。無為の時間からしか生み出されないものがある。それは、労働の生産とはちがう価値のものだ。
 
貴戸理恵さんからは、「無為の時間でも、大人になってからだと、苦しいばかりの無為の時間もある。それはあやうい時間でもあるのでは」という意見をいただいた。たしかに、その通りだと思う。でも、自分が縛られている価値観を相対化したり、生き方を見直すようなとき、誰しもそういうあやうい時間をくぐることはあるのではないだろうか。無為の時間をすごす知恵や工夫というのも、必要なことなのではないかと私は思った。
 
 
次回のづら研は、働くことについて、KJ法を使って議論する予定。

COMMENT

NAME
TITLE
MAIL(非公開)
URL
EMOJI
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
COMMENT
PASS(コメント編集に必須です)
SECRET
管理人のみ閲覧できます

Profile

HN:
なるにわ
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

Twitter

ブログ内検索

カレンダー

07 2017/08 09
S M T W T F S
2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

最新コメント

[04/06 鳥居]
[02/08 みやすけ]
[01/13 山下耕平]
[01/13 M]
[11/21 山下耕平]

QR Code

携帯からもアクセスできます。

AD

PR
Copyright ©  -- なるにわ ぶろぐ --  All Rights Reserved
Design by CriCri  / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]