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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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私にとっての「名前のない生きづらさ」(1)

1月のづら研について、のだあやかさんが文章を寄せてくれたので掲載します。ちょっと長いので何回かに分けて。
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 今回のテーマ「名前のない生きづらさ」、「顔なしの生きづらさ」、「のっぺらぼうの生きづらさ」……そもそもがとても、言語化のむずかしい、確かにそこに気配は感じるのに正体はつかめない……。とてもむずかしいテーマだと、づら研を終えたいまでも思います。
 けれど私にとって、それは決して無縁のものではない。「名前のない生きづらさ」と言いながら名前を、言葉を与えてしまうという矛盾を承知で、あえていうのならば私には二つ、輪郭の定まらない生きづらさがあります。その話を、少し具体的にしてみたいと思います。

●バイトの体験から ―不登校の追体験―

年末年始、私は郵便局で年賀状を仕分ける短期のバイトを経験しました。その日々は、まったく予期することなく「不登校だったころの私」を追体験する日々となりました。それは奇しくも、あのころは言葉にできなかった漠然とした不安、正体のつかめないもやもや、誰にも説明することのできない焦燥感、孤独……そういった当時「名前のつけられなかった」さまざまな感情や感覚に、名前をつける作業を行なう日々でもありました。

づら研の議論の場でも出た話ですが、「不登校」と言えばバッチリ名前のついた、社会認知度の高い、つまりは社会的承認も得られる生きづらさではないかと、一見そう思います。けれども私にとって不登校という経験は「名前のない生きづらさ」の宝庫でした。そこには、大まかに言って二つの理由があると思います。

ひとつは、私が不登校をしていた当時の不登校に対する目線、いわゆる時代背景。
もうひとつは、私の不登校には確固たる理由が不在だったこと。
まずは、時代背景の話から。
私が不登校に突入したのは、90年代後半のことでした。このころは「首に縄をつけてでも学校へ連れてこい」という不登校児にとっての激痛時代はすでに過ぎ、またそのきっかけになったのは不登校の当事者である子どもやその親たちが「不登校は病気や異常ではない」という趣旨の活動を活発に展開し、社会的に不登校への関心がとても高まっていた時期でもあります。

専門的にがっつり勉強したわけではないので、聞きかじった知識で恐縮ですが、私自身の体感からいっても、学校の先生は「絶対何があってでも学校へ出てきなさい」といった対応ではなく「しばらくようすを見ましょう」といった、一見理解ある、しかしその実、理解できないものをとりあえず遠巻きにした、といった対応を受けました。

また、逆説的ですが痛みはそれが強く鋭いものであるほど訴えやすく、言葉にした時によしあしは別として、他者からの反応を集めやすいという一面があると思います。何となくなぁなぁにされてしまえば、それだけ痛みは輪郭を失い、言葉にすることは困難になり、名づけることもむずかしくなっていきます。

それらとつながる話なのですが、私の不登校には、「いじめにあったから」、とか「先生からの体罰を受けたから」といった確固たる、つまりは他者に説明できる理由は何ひとつありませんでした。しいて言えば、今まで何の問題のなかった優等生が、ある日突然学校に来なくなる。私は傍から(大人から?)みたら、たぶん、そういう存在として認識されていました。

私は不登校をしながら、自分が学校へ行けない理由を必死になって探していました。たまに気力の限りを振り絞って学校へ行くと、クラスメイトからとても不思議そうに、「どうして学校来ないの? 学校楽しいよ」とたずねられ、私はそのたびに、ちいさく息を詰まらせながら、その理由を誰にも説明できないことをどこかで恥じていました。その息の詰まるような思いから、話は現在につながります。




私にとってバイトへ行くことは、できる限り自分の心を麻痺させることでした。研修に行ったその日に、私は感じ取ったのです。なんの武装もしない「ありのままの私」でここにいたら、自分はとてももたない、と。

だから私は短い十日あまりの毎日、自分の心に麻酔をかけました。埃っぽい郵便局の作業室内、そこで私は自分が自分であることを、なるべく忘れるように言い聞かせました。かつて不登校をしていたことも、中学を卒業してからの所属を持たない不安定極まりなかった数年間も、その後居場所を見つけたことも、現在生きづらさを感じていることも。

とにかく、考えてはいけない。蓋をすること。
なるべく、自分という輪郭をぼやけさせること。
私が「わたし」として息をするのを止めること。

必要なのは、おそらく「仮面」であるのだと、そう直感が告げていました。アルバイトに必要なのは、「労働者」としての仮面。その仮面をかぶって、けっして外さないこと。夜の7時にバイトが終わって、家に帰って、完全に麻酔が切れた、仮面が外れたと感じるのは、たいてい10時を過ぎてからでした。そこからまた、明日に向かって麻酔をかけるのです。

短い期間でしたが、私は何とかバイトをやり終えました。今年最初のづら研が開かれる2日前のことでした。人からしてみたら、「たかがバイトで、どうしてそこまで?」と言われるんだろうな。郵便局への道を歩きながら、私は何度もそう考えました。ちょうど子どものころ「どうして?」と聞かれたみたいに。理由を説明できないことが、どうしてこんなにも苦しいのか。歯がゆいのか。そこに関しては思うところがあるのですが、後述したいと思います。

私が学校へ行けなかった理由のひとつは、おそらく学校に所属する「生徒」としての仮面を、うまくかぶれなかったからでしょう。けれど、大人になってそれがぎりぎりのラインでできるようになったからといって、それはとても苦しかったし、この麻酔・麻痺させるやり方はからだにもこころにも大変よくないと、やっぱりそう思います。(つづく

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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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