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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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私にとっての「名前のない生きづらさ」(2)

●仮面をかぶること ―この顔のままでは、ダメですか?―

ところで、「仮面をかぶること」は、きっと誰しもがなんとなく日常的に行っている、そう特別なことではないでしょう。けれども私にとって「仮面をかぶること」は、とんでもない一大事なのです。私はいつも剥き出しの自分で生きています。思ったことや考えたことは、わりと素直に、するっと口に、顔に出る。

いわく「バケの皮がない」だとか「抜き身のままで鞘は何処へやったんだ」等……。まわりからも指摘されますし、自分でもそう思います。私は一体どうして、こんな自分にバカ正直に生きているのだと。もちろんそこには、「生きていることが申し訳ない」とまで思いつめた自己否定の数年間があり、「剥き出しの、ありのままの私」を肯定してくれる居場所や人との出会いと、もめごとがあり、「来年からは妹の下宿で、お金がかかるの。だからお母さんとあやかは、なるべく大きなケガや病気をせず、健康に生きることを目標にしようね」と、まだ若い無職の娘に大真面目に語りかけてくれる母との、そこに至るまでの長い戦争があり……。

それら過去に起こった一切を、全肯定している、と言えば嘘になるけれど、私はけっして否定的に捉えていません。過去を否定せずにすむということは、現在を否定せずにすむということ。そう、社会的に見たら、学歴がない、手に職もない、結婚もしていない、とツッコミどころ満載なんて言い方じゃ生ぬるいくらいのダメダメな私ですが、私は私自身を、けっして否定的に捉えていません。

そんな現状で自分を否定していないなら、お前のどこが生きづらいんだ! そんな声が聞こえてきそうですが、話はそう簡単ではないのです。

時と場合と波によるけれど、基本的には自分を否定せずにすんでいる私だけれど、「ひきこもる、生きのこる」が心のテーマな私だけれど、残念なことに、(そう、非常に残念なことに!)社会はそれを許してくれません。

いまの私には、収入がまったくないのです。親に生活費を負担してもらいながら、貯金を切り崩す毎日。その貯金の額もそろそろ本当に危なくなってきたので、郵便局のバイトへと至ったわけです。私が価値があると信じるもの、生きていくうえでどうしても必要なつながりやそこを基盤とした活動には、どうもお金がほとんど落ちてこない。貨幣活動に参加しない人間、「~障害」や「~病」といった外からの乱暴な名づけからこぼれた人間が生きていくことを、この社会は許そうとはしてくれません。ほとんど憎んでいるんじゃないかって、個人的には思います。




いくら私が自分を否定していなくても、それぞれが望む場所で、望んだように生きていたいのだと主張しても、いまの私が生きていくには、おカネが必要です。そのおカネを得るために必要な「労働者」の仮面をかぶることが、私にはとてつもなく難しく、また疲弊することなのです。

そこには、貨幣労働に参加するとき、自分はそこには絶対に向いていないという身体ベルの拒否感を押さえ込むために、結果として過剰に適応を目指してしまうという仕組みが働いています。

「理由なんて分からない。でも、とにかく私はここに居たくない。息が苦しい。逃げ出したい。嫌だ、怖い」

という全身からの叫びがある一方で、

「なに甘えたことを言っているだ。そうやって学校もほとんど通わなかったじゃないか。生きていくためには、おカネが必要なんだぞ。親だって、いつかは私より先に死んじゃうんだぞ。おカネをもらうんだから、絶対に失敗しちゃいけない。失敗したら、私は使えない人間であることがバレてしまう」

と言ったような、もはやぶっ飛んだ理性というか、頭からの強迫観念が迫ってきます。

この両者の怒鳴り声にはさまれて、私はほとんどワケがわからなくなりながら、何とか仕事を覚えようとし、こんな不安定な精神状態でほとんど何も覚えられず、覚えていないことが露見してしまうのを恐れて、リストカットしたり右と左の区別もつかなくなったりして、これまでのバイトは終了しました。

そのことを思えば、今回の郵便局のバイトを無事乗り切れたのが、自分でも未だにちょっと信じられないくらいです。ちなみに「おカネ」の部分を「学校」に置き換えれば、不登校時代の私、さくっと完成です。

学校は労働者としての「仮面」をかぶることを学ぶ場であるという一面があり、「仮面づくり」の段階で、私はそこに「居ることのできなかった」人間なのです。そんな人間が、その後の人生で仮面をかぶることを覚えるなんて、土台無理のある話です。「仮面」をかぶらずに生きている、そんな自分を自分で受けとめていても、現実問題として「仮面」を被らずに生きることは、いまの世の中、けっして許されないみたいです。

性質として仮面をかぶれないのに、ありのままの私では生きられない。そんな「仮面をかぶれないことによる生きづらさ」を私は抱えているといえます。

この顔のままでは、生きられないのでしょうかね? (まだ、つづく

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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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