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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

© NPO法人フォロ

   

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April 1, 2015 World Hikky Day.

 
Dear friends, hikky (hikikomori) people all around the world,
 
Let’s get togetherness at our fabulous hikky event that you can participate in without going out of your room!
 
Have you heard of the word 'hikikomori'? In Japan, it is said that about a million people, especially young people, withdraw from school, work and/or social relationships other than family, and shut themselves in their rooms without clear reasons. Hikikomori, or social withdrawal, is the name given to this 'deviant' situation. The name was originally coined by psychiatrists.
But isn't it quite normal that some people think this society is not worth participating in? We believe that hikikomori people pose important questions-—e.g. What is society? What is it for? —at the risk of their own careers. As hikikomori people, let's call ourselves 'hikkies' with pride and make our (non-)actions collective.
 
We, Nar’nywa, a Non-Profit Organization in Osaka, Japan that provides ‘a place to be’ with people who have any kind of ‘pain of living’, are celebrating ‘World Hikky Day 2015’ on Wednesday Apr 1, 2015 (local time in Japan).
 
Boosted by about 1 million participants last year (estimated), ‘Japan Hikky Day 2014’ received more than 100 tweets on its hash tag and 71 ‘likes’ to Nar’nywa’s blog. We were filled with delight and deep appreciation that so many friends joined with us.
 
This year, we are back, upgrading the event as ‘World Hikky Day’, inviting our overseas hikky friends to participate. Even though it originally attracted attention in Japan, hikikomori is not happening only in Japan. In various places in various countries, hikkies must survive as well. No matter how different our contexts are, we are all friends in terms of the condition we share: hikikomori. Why don’t we spend this special day thinking about our friends scattered around the world while staying in our own hikikomori place as usual?
Let’s join hikkies simultaneously all over the world.
We wish you a very merry Hikky Day 2015!
Your tweet on #HikkyDay on the day will be greatly appreciated.
 
Nar’nywa
**********
World Hikky Day
Date: April 1, 2015 (Local time in Japan)
Place: your own place for hikikomori (e.g. your room)
What to do: just stay hikky as usual!
***********
Translated by Rie Kido & Philip White
Illustration by Keita Soma

※英訳版は、ひきこもりの説明などを入れてるので、ちょっと長くなってます。

4月1日は、世界ひきこもりデーです。

 
世界各国に散らばるすべてのひきこもりのみなさま、こんにちは。
日本の大阪府で居場所を開いている、なるにわと申します。
外に出なくても参加可能な究極のひきこもりイベントが、今年も帰ってまいりました。
来る2015年4月1日(日本時間)、世界ひきこもりデーを開催いたします。

昨年開催した全国ひきこもりデーには、総参加者数100万名前後(推計)、告知blogに「いいね!」を71個、またハッシュタグ「#ひきこもりデー」へのツイートも100以上いただき、たいへんうれしい結果となりました。この場を借りて感謝申し上げます。

さて今年は前回よりもさらに幅を広げて、国内のみならず、海外でひきこもり中のみなさまも参加できるよう、大幅にグレードアップして帰ってまいりました。

考えてみれば、ひきこもり現象は日本だけではありません。
いろんな国、いろんな場所にひきこもり中の人がいるはず。
取り巻く事情はちがえど、ひきこもりであるという点でみれば仲間です。
世界各国に点在する仲間に思いをはせながら、
みなさまの「こもり場」で、この日を過ごしてみてはいかがでしょうか。
当日はTwitterのハッシュタグ #HikkyDay で、
ツイートのひとつでもいただければ幸いです。

……………………………………………………
世界ひきこもりデー(World Hikky Day)
開催日時:2015年4月1日(日本時間)
開催場所:各自の自室など、こもり場
……………………………………………………

イラスト:相馬契太

>English version



下村博文氏献金問題、特区、フリースクール支援……

下村博文文科大臣の献金疑惑が問題になっている。2004年に、構造改革特区で公設民営学校が導入された際にも、背景に塾業界からの献金があったとの指摘もある(3月10日衆院予算委で宮本岳志議員/しんぶん赤旗2015年3月11日)。事実であれば、利益誘導政治と批判されてしかるべきだろう。

いま、「フリースクール支援」の動きが起きているが、この動きも、下村大臣が主導してきたものだ。フリースクールには「献金」できるような団体はひとつもないだろうが、関係者は、この問題について、きちんと考えておくべきだと私は思う。

さしあたって、ちょっと長くなるが、参考までに拙著『迷子の時代を生き抜くために』(2009北大路書房)から引用しておきたい。だいぶ前に書いたものだが、読み返してみて、いまでもまったく同じ問題があると言えるように思う。(山下耕平)

………………………………………………………………………………………………………………

 たとえば構造改革特区は、大きな枠組みとしては、市場原理の活性化のために規制緩和するということだ。教育分野にしても、学校という「聖域」に市場原理を導入することが第一の目的とみていいだろう。これまで学校の設立は学校法人にかぎられていたが、株式会社やNPO法人でも設立可能になった。しかし、株式会社による学校設立が大学・大学院8校、小・中・高校19校あるのに対し(2008年現在)、NPO法人による学校設立は1校もない。先にあげたシュタイナー学園や東京シューレ葛飾中学校の場合は、学校法人として学校を設立している。これも大幅な規制緩和があってのことだが、それでも、既存のフリースクールやオルタナティブスクールで学校を設立できるところは、ほとんどないと言っていいだろう。

 数が少ないとはいえ、シュタイナー学園や東京シューレ葛飾中学校のようなオルタナティブスクールやフリースクールが制度的な位置づけを得たことについて、一定の評価はできるだろう。しかし、たいへんイヤな言い方をすれば、これらは、株式会社を参入させるための“当て馬”にされたという懸念もある。それはうがった見方にすぎるとしても、大きな流れとしては、特区が市場原理のための規制緩和だということは事実だ。


●不登校するのは才能のある子?

 2005年、文科省の下村博文政務官(当時)は、フリースクールなどとの懇談会を数回にわたって開催するが、下村政務官は不登校について、次のように語っている。
  今の公教育は画一・均一教育です。近代工業化社会、高度経済成長までの義務教育はそういうものでよかったと思います。しかし、これからの時代は脱近代工業化社会です。それぞれの個性、人間的な魅力が社会にどう貢献できるかが問われている。それに対して、今の学校教育システムは対応できていません。ですから、学校教育以外の部分で、子どもたちをフォローアップできるところがあれば、学校として認めていくべきだと思います。(『Fonte』181号/2005年11月1日)
 これは、オルタナティブ教育関係者のあいだでも語られてきた言説だ。ある意味では的を得た指摘だと言えるだろう。しかし、私は、この考え方には違和感を覚える。たしかに、そうした面はあるとしても、それでは、結局、人の商品化を深めるばかりで、不登校というかたちで子どもが告発してきたこととは、決定的にズレてしまうように思うのだ。

 学びの多様性というとき、それが商品の多様性と同じものになってしまうならば、それは教育産業でしかない。スーパーで売られているものが多様なのに生命の多様性を感じさせないように、フリースクールやホームスクーリングの学びが、商品としての多様性のひとつになるならば、それは、どの商品がいいかを選ぶのと同じ選択でしかなくなってしまう。

 再度、下村氏の発言を引こう。
  ――下村さんは「国家戦略としての義務教育の在り方」とおっしゃっていますが?
   21世紀に国が国民に対して果たす役割というのは、教育立国として、国民が意欲を持って学習できる最大限のチャンス、環境を国が与えるということだと思います。一人ひとりの意欲、能力をバックアップする。個々人が魅力的な人間として能力を高めていけば、それだけ社会で働くチャンスが広がります。それが結果的に国を豊かにすることになる。教育における財政的な措置をふくめ、学びたい人が学べる環境を国がつくっていくことが国家戦略です。
   エジソンも、きっと今の時代では不登校になるような子どもだった。不登校児というのは、能力のない子どもじゃなくて、きらめくような才能や能力があっても、これまでの学校制度では適応できない子どもたちで、そういう子はたくさんいると思います。そんな子どもたちが通えるような、さまざまなタイプの学校があればいいと思うし、既存の学校も含めた自由な選択が必要だと思います。(前掲紙)

 不登校というのは、理由のよくわからない混沌としたものだった。どんなに行政が数を減らそうとしても増えるばかりで、もっともやっかいな領域としてあったのだと思う。構造改革特区などの動きは、その混沌としたものを腑分けし、そこから商品価値のあるものだけを掬い出そうとしているとは言えないだろうか。学校に行こうが行くまいが、この資本主義社会でやっていけるかどうかは個人の能力次第で、その能力を磨くのは、従来のような学校でなくともかまわない。しかし、能力を売ることのできない人間は、医療の対象とさえなる(たとえば発達障害)。不登校が人を商品として見る視線からの撤退だとしたら、そこにも人を能力で選別する視線が及ぶことは、子どもたちの圧迫感を深めることになるだろう。

フリースクール支援、教育バウチャーについて

フリースクール支援政策について、具体的な動きが出てきている。
ひとつは今年に入って、文科省が「フリースクール等に関する検討会議」を開始したこと。1月30日に第1回の会議が開かれ、第2回は2月27日に開かれる。

もう一つには、超党派の国会議員による「フリースクール等議員連盟」の総会(2月28日)において、馳浩幹事長から「普通教育支援法(仮称)」の議員立法化を検討していることが明らかにされたこと。

いずれも、具体的な支援方法としては、教育バウチャー制度を視野に入れているとの見解が示されている。また、国会においても、2月18日、柴田巧参議院議員(維新の党)が「低所得者層への教育支援策として、学校教育に使用目的を限定した『クーポン』を子どもや保護者に支給する『教育バウチャー制度』の導入を本格検討すべきだ」と質問したのに対し、安倍首相は「教育分野におけるバウチャー制度は、子どもや保護者の選択肢の拡大、低所得世帯の学習機会の充実といった観点から傾聴に値する意見だ」と述べている。

低所得層が利用できるバウチャーとしては、大阪市が2013年12月から「塾代助成事業」を開始している。これは月額1万円までのクーポンを発行し、塾やスポーツ・文化施設などで使えるというものだ。利用できるのは就学援助の認定を受けているか生活保護の受給世帯で、2014年8月現在で登録者数は8,026人(想定人数の40%)、登録事業者は1227教室となっている(このうち学習塾が1066教室)。塾代助成事業の名前の通り、基本的には塾代を補填する制度となっている。しかし、学校外の教育バウチャーという意味では、先行事例となっていると言えるだろう。

ここで、フリースクール支援策と教育バウチャー制度について、いくつか考えておくべきと思うポイントを、とりいそぎ記しておきたい。
・施設への助成ではないという点で、支援対象(フリースクールなど)への線引きがゆるやかに済む可能性がある(クーポン対象としての線引きはあるだろう)。

・そのぶん、塾などとの区分はつかず、教育産業が「フリースクール」に参入してくる可能性は高い。

・結果、NPOなどで活動しているフリースクールへの助成よりも、義務教育の市場への委託となる可能性がある。

・教育費の使途について、主権が家庭にゆだねられるというのは、「選択の自由」を担保するものである。それは学校のパターナリズムに対する当事者主権という面もある。

・しかし、その主権は保護者にあって、子ども本人ではない。

・保護者のニーズと子どものニーズは、一致しないことも多い。

・保護者の側ではなく、子どもの側にどれだけ立てるのかが、フリースクールなどに問われてきたことだろう。

・フリースクールが、塾などと並んで保護者に選択されるものとなったとき、フリースクールは市場に淘汰されるものとなる可能性がある。


ほかにも、いろいろ考えるべき問題はあるように思うので、ご指摘いただきたい。(山下耕平)

づら研:言われて傷ついた言葉

2月のづら研は、「言われて傷ついた言葉」について、KJ法でワークショップをしながら、話し合った。まず、出てきた言葉を、カテゴリごとに紹介。
……………………………………………………………………………………………………

◎侮辱・中傷・威圧

キショイ、キモイ、ダサイ、失敗作、バカ野郎、性格悪い、しばくで!


◎身体・外見

顔がヘン、ミクロマン、天然パーマ、太ってる!、怖い、声が小さい


◎ジェンダー

女らしくない、本当に男なん?、オカマ、ホモ、子どもは?、家政婦、(自分の彼女へ)そんなに可愛くないよね


◎性格

まじめ、甘えてる、八方美人、ええかっこしいい、へんくつ、泣き虫、わがままについていけない、ウソつき


◎行動

大げさ、かわいそうアピール、不幸自慢したいだけじゃない?、他人に頼るな、やめなさい、よく食べる、へーそうなんだ、言葉に悪意がある


◎特性

変わってる、自分を客観視できてない、アスペルガーっぽい、コミュニケーションに問題がある、不器用


◎コミュニケーション

何(どこ)がおもしろいの?、つまんない、あれ? いたの?(悪意アリ)、なんで、ここにいるの?、口べた、同じこと何回も言わないで、話しかけないで、黙ってろ、早くして、うるさい、意味がわからんわ、余計なことするな、なんでできないの?、前も言うたやろ


◎人間関係

彼女いないの?、友だちおらんやろ?、エッチしたことないの?!、協調性ない、かまってちゃん


◎存在否定

頭おかしい、いなければいいのに、(親から)もう関わらんといてくれ、死なない程度に殺してやりたい、


にも会のお知らせ

年が明けてもうひと月。はやいものですね。
にも会(女性にも生きづらさを語れる場所を)のお知らせを持ってまいりました。

日 時 2月19日(木) 16:30~19:30まで(片づけを含め20時まで)
参加費 500円

◎今回のテーマは「当たり前じゃない、恋のはなし」

女子会でテーマは恋愛です!なんていうと、「定番じゃないか」と思われるかもしれません。だからこそ(?)にも会では「定番」とはちがった恋のはなしをしてみたいと思いました。
というのも、人が誰かを想う気持ちやそこから生じる行動は、本当にさまざまで「これが標準、当たり前」と言えるものなんて本当はどこにもないんじゃないかな? と思ったからです。けれど、何となく恋バナは異性愛が前提だったり、ロマンチックラブ・イデオロギーが念頭におかれていたり、意外と「恋ってこういうふうにするものだよね」という無言の前提が共有され、成り立っている気がします。その、無言の前提から見つめ直し考え直す、恋のはなしがしてみたい。
そんな思いをこめて、「当たり前じゃない、恋のはなし」という名前をつけました。

 
◎どんなことを話すの?

今回のにも会は、それぞれが「恋愛」を通して、自分のことを知ったり、「想い」の多様性に出会うきっかけになったらと考えています。
たとえば……
 
◎好きになる人は異性? 同性? 両方?
 
◎どんな恋愛をしていましたか? していますか?
 
◎人を好きになることと、依存の境界線ってどこにあるんでしょう?
 
◎今だから言える恋の話や、片想いの話。
 
◎恋(ココロ)と身体(カラダ)について
 
……などなど、すこし突っ込んだ話も聞いてみたいと思っています。もちろん、答えたくない質問に無理に答える必要はありません。縁あって場をごいっしょすることになった、ふだんのしがらみのない者どうしだからこそできる話もあるかもしれませんね。

 
◎大事にしたいと思っていること

はじめましてどうしで、それなりに突っ込んだ恋のはなしをする。
これって、実はけっこうむずかしいことなのかもしれません。
でも、おたがいに自分の気持ちを、相手の気持ちを尊重し、大事にできたら、きっと素敵な時間を共有できる。
あなたにとって当たり前のことが、誰かにとってはそうじゃないかもしれない。
誰かにとっての想いのかたちが、あなたにとっては理解できないかもしれない。
これが正解とか、どっちの方が正しいとか、ジャッジするための場ではありません。
「分からないな」と思ったときは、そんな自分を責めることなく、ただ、あなたの「わたしには分からない」という気持ちを静かに大事にしてあげてください。
わたしは「人の数だけ恋の歴史が、想いのかたちがあるんだなぁ」と圧倒されるのを、今から楽しみにしています。

◎あたたかい紅茶やコーヒーは用意してあります。差し入れなどありましたら歓迎します。
 場所がら冷え込みますので、あたたかい格好で起こしください。


◎途中参加、途中退席は自由です。ご無理のないかたちでご参加ください。
 みなさまの参加をお待ちしております。
 

◎このよびかけ文を読まれた方へ

ここまで長文へのお付き合いありがとうございます。
にも会のよびかけ人、のだあやかと申します。
MLやFBで告知させていただく結果、不特定多数の方がこのよびかけ文を読まれるにあたって、一言だけ。

今回、よびかけ文を考えるにあたって、ずい分考えました。「当たり前じゃない、恋のはなし」と題打っていますが、そもそもこの言葉が矛盾をはらんでいること、承知しています。だって、恋愛それ自体を、そもそも全員がするとは限らないのですから。「好き」という気持ちが「恋愛」という枠に当てはまらない人もいる。それこそ、恋愛だって「しなくちゃだめ」なものだとは、わたし個人は思っていません。デリケートなテーマですので、ていねいなかたちで扱いたい。それは参加されない方に対しても同じことです。
それぞれの想いのかたちが、そのままで尊重されることを願っています。

よびかけ人 のだあやか

づら研:当事者研究のあり方について

前回、1月のづら研は、あらためて当事者研究のあり方について考え合った。
そこで出てきた課題を箇条書きで記しておきたい。

・「わかる、わかる」ではなく、自分がわからないこと、自分とちがいがあるときの作法について
→丁重に扱ってほしい。

・「わからないこと」の研究もしてみる? 何がわからないか書いてみる。

・段階はあるのでは?→まずは、自分の気持ちをはき出せる場が必要だし、それを受けとめてもらうことが必要。

・自分の気持ちは聴いてほしいけど、自分は他者の気持ちを聴けるのか?

・二次被害の問題(避けるには? 起きたときの対処は?)

・関係をつくる作法?(敵/味方の両極ではない)

・異文化交流が大事。

・づら研参加とレポートを書くことのあいだ、プロセスにできる工夫はないか?

・「自分は当事者なのかな?」問題。

・生きづらさを見つけるまでのプロセス→名前をつけることから?

・聴く耳の持ち方。

・記録について。当日のようすについて、どう残すのか残さないのか。

・もめごとも分かち合えるか?

・「あの生きづらさ、どうなりました?」をやりたい。

・づら研シニア会を開いてはどうか?

・べてるの家のような当事者研究の取り組みについて。
→これまでは、やったことがない。KJ法を組み入れながらやってみる?

づら研:怒りへの対処法

今月のづら研は、「怒りへの対処法」がテーマだった。フリートークで、それぞれの経験や工夫を持ち寄ろうということで開いた。
具体的なエピソードは勝手には書けないので割愛するとして、私の独断でおおまかに抽出すれば、下記のようなことが語られたように思う。


●怒りのあり方

・怒りには、自分が向けてしまう場合と、向けられる場合がある。
・怒りには、対象がハッキリしていて、その対象に向けられる健康な怒りと、対象がハッキリしなかったり、対象に向けられなくて、暴発して誤爆してしまう不健康な怒りがある。
・怒りを感じていても、それを対象である人に向けてしまうと、関係が壊れてしまったりするので、なかなか対象の相手に向けられない。
・誤爆対象は、物だったり、他者だったり、自分だったりする。
・誤爆のあとは、すごく後悔するが、なかなかやめられない。
・自分の怒りの根本が何なのかがわからないetc...


●怒りへの対処法

・加害/被害は、おたがいさまの場合も多いが、自分の加害を認めることは難しい。
・怒りを向けられたとき、怒りで返してしまうとスパイラルになってしまう。
・しかし自分に溜め込むのはしんどいので、上手なアウトプット方法を模索したい。
・直接に関係のない人のほうが、アウトプットしやすかったりする(カウンセラー、ちょいワル仲間、ペットetc...)。
・渦中にあるときは、なかなか自分でもコントロールが難しい。
・ちょっと距離をとる工夫が必要。
・距離のとり方には、空間的/時間的/関係的、の3つがある。
・根本は関係の問題だが、そこから考えるとうまくいかないので、空間や時間で距離をとったほうが、かえって関係の距離はとりやすかったり、修復にもつながったりする。
・相手の立場や背景、もっと言えば社会状況などが見えてくると、自分の怒りも、ほどけてきたりするetc...


●残った疑問

・いわゆる「支援者」としてのスキルならともかく、対等であるはずの人間関係を、あまり技法的に考えるのには違和感がある。
・怒りのエネルギーを個人で解消してスッキリさせるだけではなく、社会運動などに転換していく必要があるのではないか?
・なんらかの工夫を入れないと、人間関係がまわらなくなってしまっているのではないか? それを専門家や支援者にゆだねるのではなく、自分たちで工夫を積み重ねていくということも、ひとつの運動ではないか? etc...


話は尽きなかったが、なぜか笑いも尽きない、今回のづら研だった。
べてるの家の当事者研究も、「爆発」の研究から始まったというが、怒りは自分でもコントロールできないものだからこそ、情報公開して、研究する価値はあるのだと思った。(山下耕平)

文科省「全国フリースクール等フォーラム」

昨日、文科省主催の「全国フリースクール等フォーラム」に参加してきた。近日中に、文科省のyoutubeチャンネルで動画が公開されるとのことなので、くわしいことは閲覧していただくとして、まずは簡単に報告しておきたい。
 
冒頭、下村文科大臣があいさつし、下記のようなことを述べた。


・フリースクール支援は安倍政権の教育施策の重要事項。
・日本は国際比較しても、子どもの自己肯定感が低く、「自分はダメだと思う」割合が84%もある。それは学校が子どもをひとつの物差しで測ってきたからではないか。
・発達障がいや不登校、貧困などのハンディキャップがあっても、教育によって乗り越えられることが重要。
・大学入試改革を含め、これまでの暗記型の教育制度を改め、これまでの学校では測れなかった多様な能力を伸ばす教育制度が必要である。
・不登校の子どものなかには、アインシュタインやエジソンのような逸材が眠っているかもしれず、そうした“ダイヤモンドの原石”を磨く機会をつくり出していく。
・具体的には、フリースクールへの財政支援の検討と、制度的な位置づけの検討をする。
・来年5月ごろに中間報告をまとめる予定。
 
その後、トイボックス(大阪)、クレインハーバー(長崎)、教育支援協会(神奈川)の3団体から事例発表があったが、いずれも公設民営や行政との連携の事例として取り組みが発表されていた。

講演として、永井順國氏が日本の公教育制度の変遷をたどりながら、市民との協働の可能性について語り、永田佳之氏が、国際比較のなかで、日本のフリースクールなどの取り組みを位置づけ、ユネスコの提唱しているESD(未来志向の教育)とも合致すること、1割ほどの「健全なマイノリティ」が存在することが、社会全体にとって意義あることなどを語った。

意見交換の時間は10分もなく、発言機会が限られていたが、私は短いながら意見を述べさせていただくことができた。そこで述べたのは、下記のようなことだ。

・子どもの自己否定感が強まっているのは、自分の存在が教育的な評価の視線でのみ、まなざされるようになったからではないか。
・不登校というのは、そのまなざしからの撤退であり、フリースクールなどの役割は、その撤退を保障するという面がある。それが「居場所」と呼ばれてきた。私たちのフリースクールは「いるだけで、いい。」をキャッチフレーズにしている
・しかし、その意義は理解されにくく、親もお金を支払う価値を見いだしにくい。そのため、フリースクールが財政的に苦境に立っているとも言える。
・フリースクールを行政が支援するというとき、多様な能力を伸ばすといっても、成果主義になると、支援は塾産業などに傾き、かえって居場所を運営してきたフリースクールが苦しくなることを懸念している。

発言時間が限られていたので、言えることに限りはあったが、最低限のことは伝えることはできたと思う。そのほか懸念や疑問や時間不足だったことなど言いたいことは多々あるが、文科省主催でフリースクールをテーマにフォーラムを開いたこと、大臣が最後まで出席したこと、終了後も、亀田徹フリースクール担当官が、個別に話を聴く時間をとっていたことなど、誠実な姿勢はうかがえた。今後、どのように検討がなされていくのかわからないが、間口が開かれたことは確かなので、どういう方向に進むにせよ、きちんと意見を言っていきたい。(山下耕平)

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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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