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なるにわ ぶろぐ

「なにものか」でなくともよい場所、なるにわのブログです。
なるにわの活動、づら研などについて
おもに、コーディネーターの山下耕平が書いてます。

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づら研:「自分の壁」研究

今回のづら研は、「自分の壁」がテーマだった。自分の中で、何かが壁になって、踏み出すことができなかったり、何にもチャレンジできなかったり、身動きがとれなくなったりする。それは何なのか研究してみようということだった。そこで、まずは、みなさんの“壁さん”を挙げてもらおうということで、聴いてみた。


●みなさんの壁さん

・否定的なことを言われた。
・見捨てられ不安。
・つくろった自分を演じていると、行き詰まる(ので、先手を打って、ひきこもり経験があることをカミングアウトしておく)。
・コミュニケーションの壁。
・人の視線。評価。
・透明になるように自分を削いでいる。

・拍子(リズム)が合わないと、話せない。
・身体がもたない。睡眠のズレ、アトピー、緊張する、など。

・お金
・遠方に住んでいる(交通費)。
・家族

・理想が高すぎ?
・コンプレックス。大学生になれなかった、など。
・自意識の肥大(下図)
・めんどくさくなる。
・ひねくれてる、こじれてる。
・「ひきこもり」という名前(当事者性)が壁になる。

・むしろ壁が必要なこともある(暴走しないために)。
・それは本当に壁なのか? 自分で勝手に縛られている?


●壁さんの成分図?

一通りだしてもらうと、なんとなく壁さんには、下図のような成分があるのではないかと見えてきた。
ただ、身体と精神は分けられないし、関係や社会規範は自分に内面化してもいるので、腑分けすれば、こうなるだろうということだ。


●撤退が必要

暴力や自分を否定される関係がある場合などは、そういう関係や価値観からは撤退することが必要となってくる。そうしないと、自分が壊れてしまう。「壁」ということで言えば、自分と関係や価値観とのあいだに壁を立てることが必要になる、ということだろう。同じ「壁」という言葉ではややこしいので、こちらの壁を「防御壁」と呼んでみたい(このちがいは、づら研の場ではなく、この報告を書いていて気づいた)。


●撤退後問題
そして、防御壁をつくって撤退することは必要だが、撤退したあと、壁をつくったあと、それをどう崩せるかが難しい。いかに、新しい関係につながっていけるか。それができないと、ひねくれ、こじれてしまう。

そこで出た意見は、次のようなことだった。

・社会規範のほうがオーダーが厳しくなっている。自分を切り売りしないといけない割合が増えているから、防御壁が高くなっている。
・新しい関係が当事者に限定されてしまうと、最初はよくても苦しい。
・当事者ではない場で、ひきこもりのことなど否定されない経験は大きかった。
・新しい関係に対して期待が高くなってしまい、理想を求めすぎてしまう。
・小説やアートなどが、新しい関係の代わりになることもある。
・大きなチャレンジや一発逆転を考えるのではなく、身近なこと、小さなことの積み重ねがいい。
・理想を求める気持ちにつけこんだ商売や「支援」も多いので要注意。
・実際の関係や場や人物には欠点やダメなところもあって当然で、理想を過大に求めてしまうと、それが許せなかったりする。
・防御壁は、崩すより、ドアとか窓が必要?
・横や縦のつながりより、ナナメの関係がいい(ナナメ上だけではなく、ナナメ下もあり)。
・一気に崩すのは難しいので、出たり入ったりを繰り返せることも必要。
・防御壁がきちんと立てられないと、かえって手放せないのでは?


●防御壁を立てられない問題

そして、最後に、若い世代ほど、防御壁を立てることが難しくなっているのではないか、そもそも撤退することが難しくなっているのではないか、という話になった。社会の流動性が高まり、何が「正解」かわからなくなっていることや、SNSやネットの影響などもあるのかもしれないが、そもそも、何からどう撤退すればよいのか、わからない状況があるように思える。そういうなかで、変身願望が強まっていたり、自傷行為や何かに依存することで保っていたりすることもあるのではないか、というような話になった。そこで、次回のテーマは「逃げられなさの研究」ということになった。7月4日(月)13時~。よかったら、ご参加を。(文責・山下耕平)

※後半は、周和平「私とは言葉である」(2014『アンデパンダン』第3号)を参照させていただきながら、話し合った。引用すると長くなってしまうので割愛するが、とても示唆に富んでいた。

なるにわラジオ第15回放送

なるにわラジオ

「なるにわラジオ」は、仕事もしんどい、ニートするのも、ひきこもるのもしんどい、上から目線で支援されるのもイヤやし、なんか知らんけど生きてるのしんどいわって、日々、悶々としているみなさんと、いっしょにぐだぐだの時間を過ごすラジオ番組です。

 第15回放送(2016.06.01 / 00:00a.m. OA)



パーソナリティ:谷口、山下
オープニング曲:Groove
ジングル作成:加藤直人
ジングル(声):のだ あやか


▼今回の放送は

○今月のオシオシ!:木偶さん倶楽部
  

○脳内リクエスト:およげたいやきくん



ほか
   
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高橋翼さんを囲んで

先週、14日のサロンでは、高橋翼さんを囲んでおしゃべりをした。高橋さんは石川県出身で、1977年生まれ。小学校5年生のときから学校に行かなくなり、その後、通信制高校に通いながらバイトをいくつもして、不登校新聞社で働くことをきっかけに東京に。短期間だったが、私はそこで高橋さんに出会った。その後、高橋さんは障害者介助の仕事に就き、2007年に大阪(泉大津市)で、障害当事者とともに自立生活センターを立ち上げている。
私が高橋さんを呼びたかったのは、ひとつには不登校について、表面的な物言いではなく、根っこのところから言葉にされている感じがすること。もうひとつには、ヘルパーとして「支援」について深く考え抜かれているように思ったことがある。ちょうど、なるにわ参加者にもヘルパーの仕事に就いている人もいるので、お招きして、いっしょにおしゃべりしたいと思ったのだ。


●不登校について

最初にうかがったのは、不登校経験のこと。高橋さんは、自分が直接いじめられていたわけではないものの、小学校3年生のころからクラスでいじめが起きるようになり、そのことに衝撃を受け、それが自分に向かうことに恐れを感じていた。たとえば、家が魚屋であるとか、泳ぎが得意でないとか、運動が苦手とか、ちょっとした差異が、いじめや暴力の引き金になり、仲間外れや嘲笑の的となる。高橋さんが学校を休みはじめたきっかけは、裁縫箱の色が周囲とちがったことだった。それがイヤで、家庭科のある火曜日だけ休むようになった。ところが、先生に「先生のために明日は来てくれないか」と求められ、「行きます」と言ったきり、行けなくなった。しかし、そのことは当時は絶対に言わなかったという。

行かなくなった当初は、家でゲーム三昧の日々で楽しかったが、まわりの反応から、しだいに自分を否定されていくように感じる。たとえば、友だちはだんだん遊びに来なくなり、こちらから遊びに行くと、友だちの親に追い返されたり、自分が遊びに行ったことに苦情を言われることまであった。あるいは、親戚に「学校に行ってないの?」と聞かれたとき、母親が「行っている」とウソをついたり……。

周囲には学校に行かない自分に対する否定的なまなざしがある。そして、いまの自分の状態を否定して、何とかしようと働きかけてくる。だから、フリースペースなどを勧められても、拒絶していたという。

その後、10代後半に、シンポジウムで当事者として話す機会があったのをきっかけに、当事者グループができて、冊子の発行などを始める。周囲の否定的なフィルターを通すのではなく、当事者どうしが出会い、情報発信していったことの意味は大きかっただろう。


●ヘルパーとして

後半は、ヘルパーについて、お話をうかがった。不登校当事者としては、周囲からの「支援」に否定的だった高橋さんは、支援についてどう思っているのか。

高橋さんは、「介助というのは、本人ができないことを代わりにするという当たり前のことで、とてもシンプルなものだ」という。しかし、そこで判断を支援者側がするのは当事者にとっては「うざい」。かといって、言われたことをこなすだけのロボットになってしまうと、支援者側がしんどい。なかには、割り切ってできる人もいるが、高橋さんの場合は、そうはいかなかったという。

たとえば、ヘルパーと障害者の関係だって、人間関係だから、まちがうこともあれば、行きちがうこともある。理不尽なことを言われることだってある。そういうとき、仕事だからと流してしまうのではなく、自分の感情や思いはちゃんと伝えるようにしているそうだ。また、自分が不登校の当事者として感じてきたことを語ると、向こうも自分のことを語ってくれ、そこで関係ができてくることもあるという。つまり、具体的な介助の局面だけではない、人間関係の部分が重要だということなのだろう。

ただ、仕事の仕方は人それぞれで、いろんなヘルパーがいることが大事なので、わりきってやる人がいてもいいし、いたほうがよい、あくまで自分の場合はそうしている、ということだった。


●ALSの現場

しかし、たとえばALSの方の場合などは、急速に症状が進行してコミュニケーションもどんどん難しくなっていく。それを本人も受けいれられないし、周囲も追いつかない。いらだちも募るし、高橋さんも、ALSの介助現場に入るのは、「さながら戦場に赴く気持ちだった」という。

ALS患者のうち、気管切開をして延命するのは3割。7割は拒否して死んでいくという。しかし、その意思決定は、医師や病院によって大きく異なっていて、周囲の考えが本人の意思に深く影響している。

ALSの介助現場では、生きていることのむきだしの部分に直面し、生きることの価値とは何なのか、考えさせられることも多い、ということだった。なるにわ参加者でも、ALSの介助現場に入っている人がいて、大変さを口にすることもあるので、ヘルパーどうしで、その大変さが共有できる場というのも必要のように感じた。


●埋めてはいけないこと

また、障害者であるがゆえに、家族と特定のヘルパーのみに関係が限定されてしまっていることもあるという。しかし、ヘルパーだけが友人というのはおかしい。関係の希薄さはヘルパーが埋められるものではないし、埋めてはいけないものだと高橋さんは言う。むしろ、本人の生きていく世界をいかに拡げていけるか。そのサポートを、どうできるか。なかには、海外旅行に行く人もいたり、どんどん世界を拡げていっている人もいる。しかし、なかなかそこが難しい場合もある(ALSの場合のように)。そこが悩ましいところだとのことだった。

支援者は、その難しさに直面しながら、葛藤しつつやっていくほかないのかもしれないと、自分の場合に引き寄せながら考えさせられた。難しいものは難しい。葛藤するよりほかないこともある。悩ましさは尽きないが、悩まなくなったら、おしまいなのかもしれない。(山下耕平)

逃げ道の研究

今回のづら研は、「逃げ道の研究」だった。

前回、狭窄さんの研究(視野狭窄さん)で、狭窄さんがいらっしゃっているときは自覚できないもので、自覚できないから悪循環してしまったりする、自覚するには、狭窄になってしまっている関係から距離をとって、ちがう人間関係や、ちがう感覚世界に身を置くこと、第三者の空気を入れることも必要(ただし暴力的な介入は問題)という話があった。つまり、逃げ道がないとしんどい。そこで、どうやって逃げ道をつくれるか、考えてみようということで、今回は「逃げ道の研究」ということになった。


●物理的に逃げても……

まず、不登校を経験した方から、自分のときは「学校に行かなくていい」とか「図書館に来てもいい」なんて選択肢はなくて、不登校になったときは、ひたすらゲームに逃げるしかなかったという話があった。
不登校といっても、学校から物理的に逃げただけでは逃げたことにはならなくて、親や周囲の目、社会の価値観など、幾重にも取り囲むものがある。そこから逃げるには、ゲーム、レゴ、本、テレビなどに没入することで、自分に逃げ込むしかないというような話があった。しかし、最近はネットの普及もあって、ゲームもオンラインゲームだったりするので、良くも悪くも自分にこもるようなことはできないという話もあった。


●「選択」か「逃げ」か?

また、「選択」というと意識的なものだが、「逃げる」というのは身体反応に近く、頭では「逃げてはダメだ」と思っていても、そうせざるを得ないというような、無意識的なものだということが、いろいろな経験談から見えてきた。何度も繰り返し出てくるテーマだが、渦中のときは、言語化できない。言語化できるのは落ち着いてからのことだが、逃げるというのは、言葉で整理が着く前に、アース線のようなものとして必要なのだろう。


●親が逃げ道をふさいでしまう?

親の立場から、子どもの逃げ道をふさいでしまっているのではないかという話もいくつかあった。正面からダメと抑圧するよりも、一見、理解のあるような言葉で子どもを誘導するほうが、子どもを追いつめてしまう、真綿で首を絞めるようなこともあるのではないかという話があった。また、親も子育てからは逃げられないので、ほどよい距離感を保つのが難しいという話も。そういう意味では、親子関係は、学校との関係以上に難しいかもしれない。


●体育会系の価値観は

体育会系の文化では、逃げたらダメ、立ち向かうべきという価値観が根強い。それは学生時代の部活動だけではなく、会社などでも根強くある。それはゴールが設定されているときには強さを発揮するかもしれないが、ゴールを自分で設定しないといけないような現在では、ガマンが自己目的化したり、ブラック企業のように悪いところばかりが出てしまっている。逆に言えば、そういう時代のなかで、逃げ道のあり方も複雑になってしまっている(尾崎豊が「この支配からの卒業」と歌ったようにはいかない……)。


●自分から逃げていてよい?

しんどい環境や関係から逃げることは必要でも、ずっと逃げっぱなしでよいのか、自分から逃げてしまっていてよいのかという話が、いくつかあがって、後半は、そのあたりを考えてみた。

一時的にはよかったと思えても、葛藤や悩みは尽きない。まあ、どう転がっても葛藤や悩みは尽きない気もするが、そういう葛藤や悩みと向き合うのでもなく、ひきこもっているなかで、気力を奪われていることもあるのではないか。仕事だけではなく趣味などに向かう気力もなく、自分に壁を立てて、一見、楽になったようで、苦しいままのこともあるのではないか、という問題提起があった。

ということで、次回は「自分の壁」をテーマとすることになった。
6月6日(月)13時~大阪ボランティア協会にて。よかったら、どなたでもご参加を。
(文責・山下耕平)

おーとーせよ/『こちらあみ子』読書会

4月9日、今村夏子著「こちらあみ子」の読書会をした。参加人数はわたしを含め3名。こじんまりとした集まりだったが、3人がそれぞれに、この小説に畏敬の念を、わかりやすくいえばただならさを感じていたので、とても充実した読書会となった。

まずは、簡単なあらすじを。

主人公のあみ子は、いつも人とすれちがってしまう。無気力な母親とも、幼いころは仲が良かった不良の兄とも、大好きなのり君とも。生まれてこられなかった「弟のおはか」をつくったり、幽霊の声が聞こえたり、トランシーバーで誰にも届かない交信をこころみたりするとき、あみ子はいつだって一生懸命だ。その懸命さゆえに、周囲の人々と決定的にズレ続けてしまうあみ子だが、当のあみ子だけは、その亀裂に気づくことができない。やがてあみ子には別離の日が訪れるが……(2011年度、太宰治賞、三島由紀夫賞受賞作品)。

この小説を読んでみて、わたしがまず思ったのは、作者の視点はどこにあるんだろう、ということだった。というのも、作者=あみ子であったら、この物語は書かれなかったと思ったからだ。すくなくとも、このような語られ方にはならなかったはずだ。登場人物の誰の視点からも、感情からも、あえて距離をとっている気がする。主人公のあみ子からさえも。
それゆえに、あみ子の孤独はいっそう引き立つ。
本当の意味で、人は圧倒的にひとりなのだ。
それでも他人だらけのこの世界とどうにかつながって、生きていかなければならない。
この小説の一筋縄ではいかないところは、人はひとりだけれど、ひとりだけで生きていくことはかなわない、ということを切実に描いているのに(だからこそ?)、安易なハッピーエンドは提示されない点だ。
自分ではない他者とすれちがってしまう、その瞬間のピシリと胸が軋むような音を、あみ子を通じてわたしたちは何度も聞くことになる。
せつなく、痛々しい音だ。
それでもあみ子は世界に向かって、無邪気に残酷に、何度でも呼びかけ続ける。
「こちらあみ子。おーとーせよ」と。

「でも、誰もあみ子に応えることはできないんですよね」
あみ子の存在が、呼びかけ続けるその声が、親しい人に対してほど暴力性をもってしまうことに注目したのは、Mさんだった。
「それも、無理なからぬことかなって思う。自分の周囲にあみ子のような存在がいたら、やっぱりひいてしまうと思うから」
その一方で、あみ子が最も直接的な暴力を介して、大好きな「のり君」と渡りあうシーンが印象的だとMさんは言う。あみ子は積年の想いを込めて、のり君に「好きじゃ」というが、徹頭徹尾、一方通行で、ある意味では暴力的だ。対するのり君は「殺す」と返す。あとはもう、「好きじゃ」と「殺す」の応酬だ。その果てにあみ子はのり君に殴られてしまう。

「あみ子が周囲とズレてしまうのは、あみ子が言葉以前の世界を生きている存在だからではないか」と指摘したのはYさん。いわく、「あみ子はプリミチブな世界に生きている」。
たとえば、あみ子がわたしたちとまったくちがった道理によって生きているのあれば、そのズレに痛みも感じない。痛みを感じるのは、みんなあみ子のように言葉以前の世界に浸って生きていた時期があるからではないか。人は言葉以前の世界から、だんだん言葉の世界に入っていく。その言葉を通じて、社会とつながっていく。だから、いくつになってもプリミチブさを強烈に放ち続けるあみ子の前で、周囲は苛立ちをつのらせてしまう。でも、それはあみ子がわからない存在だからではなくて、言葉以前の自分、プリミチブな自分が刺激されてしまうからかもしれない、と。
「自分が小さいころの、世界とのつながり、他者が見ている世界とズレてしまう瞬間のことを思い出した」とYさん。

そのように考えていくと、つながり損ない続けるあみ子が、かろうじてつながれている人々の存在も、また象徴的だ。家族と離れたあみ子を引き取ったおばあちゃん(高齢者)、そんなあみ子の欠けた前歯を見せてもらいにやってくるさきちゃん(子ども)、そして、生まれてこなかった赤ちゃん(死者)。みんな「世間一般」の大人が敷いたレールから、おそらくはプリミチブの方向へはみ出している存在だ。

あみ子の強烈な存在感についつい引きずられがちなわたしに、「自分のすぐそばにあみ子のような存在がいたら?」という問いで考えさせてくれたMさん、あみ子の強烈さを「プリミチブ」という言葉でひも解いていったYさん。それぞれに、あたらしい視点と発見のなかで物語と出会いなおすことができるのは、読書会の醍醐味だと思う。一粒で二度おいしいどころか、噛めば噛むほど味わい深くなっていくなんて、スルメみたいだ。

人はみんな、いつかあみ子だった自分を忘れて、というより覚えておくことすらできず、どんどん知識や知恵、言葉といったものが重視される世界へとスライドしていく。そんななかで、感覚世界に止まり続ける存在=あみ子を「日常」へとぽん、と投げ込み、生じる波紋を、美化するでも貶めるでもなく、淡々と描いてみせた作者は、やっぱりただものじゃないと思う。というより、何者なんだろう?
この人が次にどのようなものを書くのか、興味が尽きない。
ちょうど、「たべるのがおそい」という素敵なタイトルのムック本に、5年ぶりの新作が載ったところだという。こちらもぜひ、読んでみたいと思う。(野田彩花)

なるにわラジオ第14回放送

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 第14回放送(2016.05.01 / 00:00a.m. OA)



パーソナリティ:谷口、山下
オープニング曲:Groove
ジングル作成:加藤直人
ジングル(声):のだ あやか


▼今回の放送は

○今月のオシオシ!:明後日からがんばるスポーツ講座

 

○新コーナー くさ研
ほか
  
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狭窄さんの研究

今回のづら研は、「狭窄さんの研究」だった。視野狭窄の狭窄さん。しんどいときほど視野狭窄になって、何かにしがみついてしまう。そういうときは、狭窄さんがいらっしゃっているのだということで、研究してみた。最初に、野田彩花さんに話を聴きながら研究を進めたが、途中からは参加者もいろいろ話していたので、以下はゴッチャになっている。

・狭窄さんがいらっしゃるとき

まず、どういうときに狭窄さんがいらっしゃるのか、考えてみた。

・焦っているとき
・余裕がないとき
・失敗したと思うとき
・悩んでいるとき
・孤独なとき
焦っているときは、目と手先が固まってしまうなど、文字通り身体的にも狭窄になってしまうことが語られた。たとえば、バイトなどの研修でチェックされているとき、迷子になったとき、自分のペースを保てないとき、など。

失敗したときなど、どうやら他者からの評価は、大きく影響しているようだった。「私なんて」と思えてしまうとき、ひとりで酒を飲んでいるとき、頭ごなしに決めつけられたとき、などという声もあった。

・どんな狭窄さん?

狭窄さんは、そのとき盛り上がっている感情にとりつくらしい。怖い、不安などネガティブな感情の場合もあれば、うれしい、好きなどポジティブな感情の場合もある。ただ、登場するには方向のちがいもあって、

ネガティブ狭窄さんは、他者からのまなざしを気にしているときで、
ポジティブ狭窄さんは、自分から他者をまなざしているとき。

また、エネルギーが飽和状態になっているときは、それを放出するきっかけを求めていて、そのために、わざわざイライラする情報を見つけてきたり、自分のトラウマになるようなことに近づいたり、自傷的な狭窄さんが来る場合もあるようだった。

とくにタチが悪いのは、人にとりついてしまった場合。それがポジティブにせよ、ネガティブにせよ、その人自身ではなく、その人のある部分だけに狭窄してしまって、敵/味方に二極化してしまったり、勝ち/負けにこだわってしまったりする。そうなると、現実と出会いそびれてしまう。


・狭窄さんが来ているときの状態は?

まず、狭窄さんが来ているときは、その自覚がないということ。
そして、ループしてしまうこと。
狭窄さんが来ていることを自覚するには、ちょっと俯瞰してみることが必要で、そのためには、狭窄さんを否定するのではなく、狭窄さんを認めること、来ることを拒まず、むしろ、おもてなしをすることが必要ではないかという話になった。


・狭窄さんのおもてなし方法

狭窄さんを現実の人にとりつかせてしまうのが一番やっかいなので、妄想などで出番を与えてあげること。
人に話すことも大事だが、言語化できるまでには時間がかかるので、まずはエネルギーを放出する工夫をしてみること(怒られるのが怖い問題でも同じテーマがあった)。カラオケ、ゲーム、部屋の片付け、料理、散歩など。
狭窄になってしまっている関係から距離をとって、ちがう人間関係や、ちがう感覚世界に身を置くこと。第三者の空気を入れること(ただし暴力的な介入は問題)。


・狭窄さんのプラス面

文章を書くときなど、自分にもぐっていくには、シャットダウンも必要。アスリートやアーティストなども、狭窄なところがある? ただ、摂食障害や依存症など、それ自体が自己目的化してしまって、ループしてしまう場合もある。

誰しも価値観などは狭窄な面があって、自分の価値観で他者を決めつけないことは大事。主語をつけて「私はこう思う」など、自他の区別をつけることは大事。それをしないと暴力的になってしまう。

ほかにも、いろいろな話があったが、およそ以上のようなことが研究を通じて見えてきた。狭窄さん、なかなかの曲者だけど、ほどよい距離感を持ちつつ付き合っていければ、いいヤツなのかもしれない。(文責・山下耕平)

くさ研はじめます。

めんどくささからの当事者井戸端研究:くさ研

この会は、日ごろ感じる、
めんどくさかったこと、めんどくさいこと、めんどくさそうなことなど、
生きづらさまではいかないけれど、たしかに存在する「めんどくささ」という感情を、お茶やお菓子を片手に、井戸端会議的におしゃべりする会です。

◎2カ月に1回(偶数月)を予定。参加費500円。

■くさごと
めんどくさかったこと、めんどくさいこと、めんどくさそうなこと、
これら3つの過去形、現在形、未来形のめんどくささを、
この会では、まとめて「くさごと」と表現します。

■めんどくサイコロ(くさコロ)
くさコロを振って、出た面にまつわるくさごとを話してもいいし、
すでにくさごとがある場合は、そのくさごとに合った面を表に向けて
お話しください。話が終わったら、次の人に「くさコロ」をまわしてください。

■めんどく三角
みなさまのくさごとは、めんどくサイコロの元に平等です。
どんなに些細でも、どんなに重たくても、気兼ねなくお話ください。
■くさ汁
この会の最後に、みなさまの「くさごと」が書かれた紙を水に溶いて「くさ汁」を作り、側溝へ流して大地に還元します。

■くさ研で大切にしていること
抱えるくさごとは人それぞれです。
さらにくさごとを増やさないためにも、ほかの人のくさごとは尊重しましょう。

また、この「くさ研」は、なるにわラジオとコラボしており、ラジオの「くさ研」コーナーへ寄せられたお便りを、なるにわでの「くさ研」で紹介し、そのときの反応や、みなさまのくさごとなどを、許可を得た上で、またラジオで紹介します。
・呼びかけ人
 谷口玲央奈
 野田彩花 

なるにわラジオ第13回 1周年記念だけど通常放送

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 第13回放送(2016.04.01 / 00:00a.m. OA)



パーソナリティ:谷口、山下
オープニング曲:Groove
ジングル作成:加藤直人
ジングル(声):のだ あやか


▼今回の放送は

○新コーナー告知 くさ研
○脳内リクエスト:"Dekho ab to kisko nahin hai khabar."
        インド映画「JANWAR」の劇中歌
※youtubeのリンクは下記画像をクリック。
 
ほか
  
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「なにものか」でなくともよい場所、なるにわ(NPO法人フォロが開いてます)。毎週土曜日の午後にサロンを開いているほか、づら研(生きづらさからの当事者研究会/月に1回)、終末ティータイム、冊子『もじにわ』刊行、なるにわラジオ配信などの活動をしています。ブログは、おもにコーディネーターの山下耕平が書いています。

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